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15) 柳生心眼流の免許体系7 甲冑免許は本来の中意 (目録) 免許
実はこの甲冑免許は、昔は「中意の位」だったといいます。つまり本来の目録。江戸時代は当然のごとくに武器術がありましたので、さまざまな武器術を稽古する段階です。鼻捻、鎧通をはじめとして陣太刀、陣笠、陣鎌などがあります。現在「甲冑術」として稽古しているものです。これはとてもたくさんあるので、ある程度習得しようとすると結構時間がかかります。
明治以降は武器術をしばらくお蔵入りにしていましたので、これら技を柔術に直した形で伝授されました。これを「素肌甲冑」といいます。これに対してもともとある武器を使う技である「甲冑術」は「本甲冑」と区別します。この甲冑術を門人に公開したのは星国雄宗家ですので、その流れである一関の星裕文師範とその門下、新田の星徳一師範とその門下、島津兼治師範とその門下、そして私たち柳正館の流れだけです。星国雄宗家の門下以外は甲冑術は数本程度教えたことはあっても体系的には教えていません。これは押さえていないといけないことです。
伝書に「甲冑伝」とかかれているところを根拠に甲冑術が伝わっているということをいう方が過去いらっしゃいましたが、少なくとも星家の伝では素肌甲冑だけの方にも伝書の中に「同 甲冑伝」と書いて出しますし、こういうものだとか、1、2本教えたりはしています。したがって「甲冑伝」と書かれていたから甲冑術を体系的に教わっているという根拠にはなりません。
最近のある雑誌で甲冑術のことが出ていてこれは星国雄宗家から出ているだろうなと思われるものがありました。当流での「小手返」です。他流の小手返しとは異なります。出すのはよろしいですが、それは本当の甲冑免許の伝授技ですか。変化手のように見えますが。
唯一の例外は飯島というところの星家の親戚に鎧通の技がかなり伝わっていました。これは星国雄宗家が若いころにそこで働いたため、別伝で当館にも伝わっています。これは島津兼治先生にも星国雄宗家が小具足伝授のときに教えたそうです。