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2025-12-03 22:11:00

36) 柳生心眼流の免許体系28  右足と左足はどっちが正しいか

伝書のことが出たので左右についてお話します。私たちの流れではあまりしませんが、柳生心眼流の他の流れだと右足を出して、その次に左足を出してなどと舞の形付けのように形の内容が書かれているものがあります。これは私たちの流れではあまりしないところです。してもいいのですが、それは入り口にすぎません。それどころか伝書には左右が逆転して出ていたりします。それでよいのです。なぜかというと状況次第だからです。

たとえば形としては初めに一歩引くことを教えますが、状況によっては一歩出ることもあります。これは相手との関係性で決まります。

相手のある攻め手 (箇条)に対して、右足を出すか、左足を出すかといったことは初めの段階では動きを覚えていただくためにある形を示すのですが、あとからどんどん変化していきます。ある程度覚えたらこれは右足前でも左足前でもしますので、右でも左でもできるように理解を促していきます。ですので「通例ではこう書く」というのはありますが、どちらが正しいということではありません。

相手によっても違う。自分の状況によっても違う。道具によっても違う。こういうのを「変化」といいます。基本の形はあるのですが、それに変化がたくさんあるので、縦横無尽に変化していくものです。うちでは「千変万化」、桃生では「変化無窮」と書かれています。ある段階からはこれができないといけないです。目録あたりからこういうことを少しずつ教えていきます。

星国雄宗家も「うちには変化がたくさんあってひどいんだ」とおっしゃっていました。私も代を継いだ時に技の数を数えようと思った時期があるのですが、無茶苦茶になっていくのでやめました。数えられないです。七箇条と言いますがこれもおよそ (大体) です。結論は「教わった通りに伝えればいい」でした。

技術や感性を伝えるのはこういうことだと思います。昔からこうやって伝えてきたのでしょう。陶工の人が小さいころ、若いころから親や先輩と同じ作業場に出入りしてその姿を見て、一緒に仕事をして覚えていく。これはどこからどうとういうことでもないし、土の採り方、作り方、ろくろの回しかた、釉のかけ方、焼くときの薪の入れ方、温度の見方、それもいろいろな種類の作品がありますから、これについては10箇条、これについては15箇条などとは言えないと思います。はじめは見て、まねて、教えてもらって、批評してもらって、またまねていく。その繰り返しで、いつの間にか親と同じものを作るようになります。「いいね」と言って買ってもらえるものを作れるようになります。そしてそのうちに自分の作品とは何かを考えるようになる。

だから技は立ち合いで伝えるしかありません。先生は亡くなる1週間前、道場で倒れるまで教えてくださいました。いろいろな技術があるけれど、少しずつできるようになっていく。星先生は「どんな学者もいろはのいの字から学び始まる」とおっしゃっていました。一本目から始まって、徐々に箇条を増やして、できるとさらに変化を覚えていきます。自然に動けるようになっていきます。さらに自分でもその隙間を埋めて、二段にも三段にも変化しすきのない体をつくっていきます。

柳生宗矩は伝書『進履橋』で「右之数々を能々習い得て、此中従り千手万手をつかひ出すべし。三学九ヶなどと云は大躰を云也。此道をよく心得てより太刀の数を云べからず」と述べています。柳生心眼流も同じです。

剣術でも初手は面ですが、私たちの流れでは面にもいろいろな方法がありますので、いくつにも膨らんでいきます。棒の攻めどころもこれと違うものがあったりします。マニュアル本では初めの部分は伝えられますが、変化のすべては伝えられません。

星国雄宗家は「こういうことが出来てはじめて北の柳生もまだ大丈夫だと (他流の人から) 言ってもらえる」とおっしゃっていました。こういうことは古い伝統を持つ流派ならきっとどこにもあることなのでしょう。右でも左でもない技 (左右にこだわらない技) を使い出だすのうちの流れです。そのように精進稽古を続けます。ですから右でも左でも正しい。「出た技はみな本当の技」と言われます。

 

2025-11-24 22:05:00

35) 柳生心眼流の免許体系27   伝書を見て何がわかるのか

星国雄先生は実際にいろいろな伝書をご覧になって、自分の受けた相伝と全く同じ内容の伝書は一本もなかったとおっしゃっています。星彦十郎先生は「どこでどんな伝書が出てきてもここに竹永隼人の技が伝わっているから心配することはない」とおっしゃったといいます。そのくらい口伝立合の伝授なのです。

ですので少なくとも柳生心眼流に関する限り、出てきた伝書を買い込んで、それだけで勝手に内容を解釈したりするのはかなり危険だし不確実だということはわかると思います。ときには「何言ってるんだろう」と思って読んでいることもありますし、極秘伝や失伝とかバイブルとか言われても「そんなことくらい一関総本部でも新田柳新館でも柳正館でもふつうにその免許になれば伝えてますが」みたいなこともあります。

では何を伝えているのか。もちろん内容もきちんと口伝した上ですが、師弟の関係性がわかります。師匠がこの人にこの段階でどの程度のことを教えたか、師匠がその弟子にどのようなことを、またどのようなことが大切なのかを伝えようとしたのかということです。書には書いた人の気持ちが現れるものなので、その本気度によって、おのずから先生のお気持ちが察せられるということになります。字の上手下手、間違っているとかではないです。またそれを受ける弟子がどれだけの人だったかも感じるのです。書道する方なら同じ書き方は王義之のような書聖でもできないことを知っていると思います。

過日、星裕文総本部長と会った時もおじいさん (星国雄宗家の印のつき方でおじいさんの気持ちがわかると言っていました。まったくその通りなのです。先生の書かれたものを見て、ああ、あのときは先生にこういうことを教わった、こういうことを教わったがまだ自分では理解できていなかった、なんとそのようなことであったか等々。伝書を見て先生の教えを思い出し、先生の教えにもどっていくことができます。「お前にこう教えたじゃないか。俺ははじめから隠してなんかいなかったろう」先生が目の前にいらして、先生がおっしゃっているようにも感じられることがあります。「すべてみせていたはずだ」「はい、そうです先生。先生の動きにみな現われているのですから。私が入門したときから先生は二十一箇条でそのことを教えてくださいました」涙が出てくることがあります。それは私に向けた先生のお気持ちが込められているからです。先生が流祖と歴代の教えを受けて、なおかつ長い間生きてきてこういうことが大切だと自分もわかった、だからお前にこういうことが大切なのだと伝えたい。そういうお気持ちが察せられるのです。だから昔から言われるように伝書はお守りなのです。一つ一つの項目は1つの内容ではないです。道場でのたくさんの教えが一語なり一句に集約されているものです。たとえば「手ノ内の大事」といっても、具体的に示せば実にたくさんの技術や心得があります。この技ではこう、この武器ではこうと立ち合いで示さなければわからないものです。

前にも申しましたが伝書は一巻ずつ、師はその弟子のことを思いつつ書いていくので、私も伝書を書くときは思わず自分でも口ずさんで書いていることがあります。伝書のことばなのですが、流祖や先師様の言葉が自分の声となって出てきます。そしてこれが大切だというところになると力が入るのです。「強くとも道なければ弱きに劣る、弱くとも道あれば強きにまさる」これこそが流儀の心です。流祖のおっしゃりたかったことです。おそらく代々そうしてきたのだと思います。兵法は生き方です。

2025-11-17 22:07:00

34) 柳生心眼流の免許体系26  伝書研究の落とし穴 その5

 

歴史の研究ではある方の真筆と思われていたものがよく調べてもらったら偽造であったということは結構あります。史料が出てきたらまずは本物かを慎重に検討すべきです。

最近もあやしい伝書が出まわっているのを目にしました。他流の図と柳生心眼流の言葉とまぜて書けば伝書など簡単に作れてしまいます。でもそれは柳生心眼流の伝ではないし、区別しないといけないです。

このほか書誌学的な知識も望ましいし、紙の質や変化、墨の色、文字の書き方、時代やその地方の言葉の使い方の違いなどでも鑑別ができます。

星国雄先生も「こういうことが分かれば君たちも柳生心眼流の伝書の立派な鑑定士になれる」といっていろいろなことを教えてくださいました。

そこから自分が得た結論を言うときにはその知見を支持する傍証や背景、他本との比較なども集めて主張する必要があります。これをせずにある部分だけ切りとって、自分の解釈だけを分かったように主張して読み手が十分納得できないまま「言ったもの勝ち」になる状況が柳生心眼流の流儀内にあり、心苦しく思っています。形でもそうですが「一般の人や他流の人はどうせ分からないのだから自分たちがどういってもよい」というのはよろしくありません。(そういうことを私におっしゃった先生が実際いらっしゃいましたが・・・) それは武道を真に愛する方々の当流への興味を減じ、ひいては当流の評価を貶める行為と言えます。

こういうことは真剣にそして謙虚に向き合わなければなりません。科学の研究でもそうですが、言ったもの勝ちになるだけなら研究とは言えません。完全でなくても読んだ方の疑問に答える傍証や根拠をそろえないといけないです。集めた1次資料や2次資料から何がいえるのか、断定なのか、推論なのか、結論には水準があります。あるいはだれかの言葉を引いたのかなど。100%というのは無理ですが、なるべく多くの人が読んでも納得してもらえる表現があります。伝書を検討する場合はこういったいろいろな配慮が必要です。限界も自分で指摘して、必要なら他人の指摘や疑問を受けてさらに検討を行えば、より論を発展させることもできると思います。昔はこういうことは武道家同士でもしていたようです。ご高名な先生が若いころにその当時の大家に疑問をぶつけたところ、その大先生が怒らないで答えてくれたという話もお聞きしたことがあります。

歴史的なことは流儀の伝や師伝が間違っているということもあり得ます。こういうことは古い伝統ではどこでもある問題で、流儀の主張は主張として、でも事実がどうかということに関しては謙虚でないといけないと思います。小生も間違っていることはあり得ますし、新たな史料の発見によって考えを改めなければならないことも可能性はあると思っています。

2025-11-12 00:32:00

33) 柳生心眼流の免許体系25  伝書研究の落とし穴 その4

今日は伝書の落とし穴に戻ってその4をお話します。

伝書には単純な間違いもあります。これは背景上どうしてもやむを得ないところがあります。江戸時代でも文字を完全に読める人は少ないですし、書ける人も少ないです。異体字も多いです。保存状態が悪ければ読み取りづらくなります。梵字は正確に書かれていることが少ないです。なぜかというと、梵字 (つまりサンスクリット語の悉曇文字) は近代になるまで専門の僧侶しか学べなかったからです。僧侶の方でも専門に学ぶ場合は加行という修行をしてから伝授を受けたのだそうです。現代ではサンスクリット語はいろいろな大学で学ぶことができます。

史料は写しているあいだにいろいろと変化してくるので、入手可能ならいくつかの同類の資料を慎重に比較校合して内容を確定することが望ましいです。ただ、実際上伝書を書くときは、あまり修正してはいけないともいわれています。ここは難しいのですが、同じような内容を奥ではわざと別に置き換えてさらに奥のことを伝えたりするためです。この微妙なところは、体験しないとわかりないと思いますが、本当にすごいことだと思うことがあります。例えばですが、同じ歌のように見えるのですが、ある時は刀法を言っていて、ある時は人生を言ったりします。そう、兵法は生きることですから道場でならったことは最終的には人生に生きてくるのです。先師様方もこういう体験をし、そのうえでこうおっしゃっているのだろうと感じることがあります。こういうことをわからないうちに理解不足から直してしまうと先師様方の真意を失うことになります。

以前にお話ししましたが、同じ甲冑伝書でも伝系が違ったりしています。この場合は、違うままに書くのがよいとされています。ただこれもとても難しいところです。このことのために伝系がまちまちで確定できないことが生じてしまうからです。このことはすでに江戸時代寛政年間の伊達藩の諸芸道の調査を記録からの抜粋である『御家中士凡諸芸道伝来調書抜書』でも指摘されています。おそらく正確な伝系は印可になってから口伝で教えたためと思われます。伝系のお話はまた別の機会にもとり上げたいと思います。

実はそれだけでなくて、往々にして後から宛名や内容が抹消・改変・加筆されていたりします。他人の伝書を持ってきて宛名の部分を切り取って別人に宛名に変える手口もあります。こういうときは位置がおかしかったり筆跡が異なっていたりします。これは江戸時代からあります。こういうのは「いたずら」といいます

発行されていない伝書が偽造されたりもします。偽造は私も管見しています。星国雄先生が出していないある方あての「小具足伝書」の写しが出てきました。入手してお持ちしたところ、星先生もにやにやしながら「なんでだろうなあ」とおっしゃっていました。筆跡から先生は書いた方が分かったようですが・・・

2025-11-04 22:43:00

32) 柳生心眼流の免許体系24  再入門の作法 

今日は再入門のお話をします。修行中に不幸にして師匠が亡くなってしまい、柳生心眼流を続けたいと思ったらどうしたらいいでしょうか。私たちの流れ、つまり星家の流れでは小具足免許か皆伝免許でないと独立とは言えません。もちろん甲冑免許まで稽古した方が、道場をやめてもご自身でしっかり稽古し、人生の友としていただくのは全く問題ないです。むしろそうしていただきたいです。教わった技を1本でも2本でもあるいは二十一箇条でも、ときどき稽古して武道の意味を考えていっていただきたいです。同じ道を求める大切な同門です。

一方、目録免許や甲冑免許の方が「柳生心眼流」と名乗って道場を経営したり、門人を入門させて伝書を発行すると、後々問題が生じる可能性が高いです。例えばそのような道場で発行した免許をもって、柳正館にいらした場合、それを認めることはできないからです。修行期間はある程度考慮いたしますが、免許自体は最初から取り直していただくことになると思います。

このため小具足か皆伝までの免許がなく、今後も道場での稽古を続けたいのであれば、小具足以上の免許をもつ先生に再入門することをお勧めしています。一関総本部でも星国雄先生が亡くなられたときに修行の途中であった方々は、総本部長 (現二代目星国雄) に再入門の手続きを行いました。

再入門するときには、新しい師匠はその方のもらっている伝書を確認します。これはどのようなところまで教わっているかをおおよそ把握するためです。「ここまで習っています」という口頭だけではだめです。これが当流の再入門の作法です。昔から伝書の書き方と一体で伝わって来ています。伝書を確認し、慎重にその方の状況、理解度をたしかめながら教えていきます。その方が素晴らしい方であれば、当然先に進んでいただいて流儀を背負っていただくことをこちらからお願いするかもしれません。ただ、例外はあります。例えば天災など人生の様々な理由で伝書を失ってしまった場合もあるからです。

一方でこのような手続きをとらず、技だけ教わろうと望む人もいたようです。こういうことはとても慎重にすべきこととされてきました。星国雄先生は「自分の弟子にならない者に伝授 (秘伝) の技を教えてはならない」とおっしゃっていました。

たとえば「先生は皆伝をやると言っていたが、亡くなってしまったので教わらずに終わったしまった。皆伝を教えてほしい」と言ってきた方がいらしたそうですが、星国雄先生は「あなたが先生に許可をとったら教えて差し上げましょう」と答えたそうです。 (亡くなっているので許可はとれないです)

ある方は「先生、皆伝を一緒に稽古しましょう」「親が亡くなったが皆伝まで教わらなかったので教えてほしい」「先生は相伝をお持ちなんですよね。私は知っていますよ」とか、いろいろと理由をつけて教わろうと来る人がいたそうですが、これはすぐに教えてはならないことになっています。師匠が教えなかったには理由がある可能性があるからです。おそらく他流でも古いところではこういうことがあるのではないでしょうか。

その方が真摯に武道を求めていて、その方の上達に資することがあれば、私も武道の先輩として一本二本は何らかの技をお見せしたりお教えすることはあります。しかし柳生心眼流をしっかり稽古したい場合は、再入門をしたうえで稽古を続けることが望ましいです。とくに上になればなるほど伝は細密になり口伝をしないと真の理解は難しいです。ほぼ同域まで心が育っていれば見せただけでわかるでしょうが、実際はそうはいかないです。授ける方と受ける方の実力や経験の差が全く違うからです。例えば、首近くに刀の切っ先を付けた場合、「頸動脈を切る」と早合点してしまうことはよくあります。見ている本人がその急所しか思い浮かばないからです。実際の口伝は違ったりします。だからちょっと1回見たくらいでわかるものではありません。先生も相伝の稽古では何回も同じ技を稽古してくださいました。

私も平成22年に埼玉に戻って柳正館を立ち上げ、初の小具足免許を出したのは令和6年、皆伝免許は今年になってからです。つまり埼玉に帰ってきて15年がたっています。そのくらいかかります。もし自分が死んだら一生懸命に稽古していただいた方々が他の先生に再入門しなければならなくなるので、正直早く出したい気持ちもありました。しかし急いでいいことはないと思い慎重にお教えしてきました。門人の方々も粘り強くついてきてくださいました。今は皆伝の方がいらっしゃるので私はおじいちゃん気分です。これからもすべきことはたくさんあるのですが、少し重荷がとれました。

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