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68) 柳生心眼流の免許体系59 有無と手字種利剣
私たちが生まれたり死んだり (見えていたり見えなくなったりするように見える) のは実際そのように見えているのですが、その動きの本体は心、あるいは心の相続 (心相続) ということになります。有無というのは自分が認識できるかどうか、つまり目の前に見えるかどうかで私たちは量ってしまいます。(こういうのを「有無の見」とか「量」といいます) 物質的なもの (仏教的には色といいます) は常に変化して、あるときは見えある時は見えなくなるもので、その裏で働いているもの (心、仏性、あいつ、かれなどいろいろに呼ばれます) はいつもそれと一緒に働き活動していて、いつもある (常なるもの) ものです。『玲瓏集』で沢庵禅師は「その源をよくたづねもてゆけば無始の一念にして」と表現しています。つまり始まるのない昔から心が続いていく。本心のことです。
ここで誤解をしていただきたくないので申しますと、これは沢庵禅師も宗矩も僧侶でない人にわかってもらおうと思って理解しやすいように工夫して話しているわけですが、仏教的には (つまり専門職向け、あるいは参学してある程度知っている在俗の方向けには) これだけではまだたりないのです。つまりなにか具体的なものでたとえると、どうしても実体的に受けとられやすいので、対象 (境・色) も映像・幻化をイメージしやすいものにたとえたり、それを把握している側の心である概念 (妄心) や裏で働いている心 (本心) などももう一押しして「空」(自性によって空とか言ったりします) であることをいったりします。
日本ではもともと神道の考えもあるためお坊様方も使い分けているとは思いますが、仏教では「魂」を独立した実体としての存在とは見ないので、心が続いていく(心相続) 状態というふうに考えます。『玲瓏集』では沢庵禅師は「その源をよくたづねもてゆけば無始の一念にして根 (感覚器官とそのはたらき) もなきものなり。根なくして先般万般の物出生する、これを妙ともいへり」と結んでいます。これは本心のことです。
一方、兵法としての理解は「見えるか見えないかは相手の心によって現れてくる」でよいと宗矩は考えていたようで、宗矩はこの理解を応用していろいろなところで手字種利剣の話が出てきます。これは主には手のうごきですが体の動きも含んでいます。これらの動きを「有無」とも言って最初からよく見て掛かるよう教えています。
この「手字種利剣」は十字、種子、手裏剣、種利剣などいろいろな書き方をします。私たちの流れでは十字や十文字は使いますが、しゅりけんの言葉は使わないで別の言葉を使います。
『月の抄』で十兵衛は「十文字とは種子 (注 しゅうじ) の改名也」「十文字にさえあへばあたらぬ也」「手裏見は手の内也」と記しています。またこの「裏」 (おそらくは裡の代用) の字に深い意味があって、中墨、高上、神妙剣の意味を含むとも書かれています。(「裏の字に心持あり。理に云。衣のうちに里をつつむと云心持あり。里は中墨、高上、神妙剣なり。心を衣につつみて置となり」) 私たちの流れにも「十字神妙剣の大事」という口伝があります。
これは兵法の基本の基本であるため、いろいろなところで言及されています。たとえば、『兵法家伝書』の「一 有無、拍子 附有も有、無も有と云事」では「太刀をにぎる手に有無と云事あり。秘伝也。是を種利剣と云也」としています。つまり、相手の心の状態によって手や体にいろいろな状態が現れたり消えたりするので、相手の太刀を握る手の状態がいろいろと変わるのですが、ここをよく見ろと言っています。目で見るというより心で見ることになります。これはうちの流派でも同じで、伝書に一々書くことではなく、立ち合いでいろいろと教えないといけないところです。なので宗矩も「如此云うとも相伝せずぱ此等の言葉しりがたき事也」言っています。
話が複雑になるのでそのあとの「有無非二」は飛ばして、結局「此種利剣の有無を見ることちがはば百手をつくしてつかふとも勝利あるべからず。百様の兵法も此の一段に極まる所也」と結んでいます。
67) 柳生心眼流の免許体系58 八識真如と云、本分の白地なり
『月の抄』で心の最も奥底の第八識は「是は八識真如と云、本分の白地なり」と説明されていいます。第八識は阿頼耶識とも言われていて沢庵禅師が「一切の善悪の業、此八識に種子が残る故なり。一切の善悪の業、此の八識に残って八識より出て生死流転するぞ」と十兵衛に話したことが書かれています。この「〇〇するぞ」というのは今でも使いますが当時の言葉で、仏教の講義とかするときに講師の先生がこういう言い方をしていたようです。十兵衛はそのままに書きつけています。人がいろいろ心身で活動したその痕跡は「種子 (ここではシュウジと読みます)」としてこの阿頼耶識に格納されていて、何かがあると粗い識 (前六識) の上に現れ出てきます。つまり、自分のしたことやその記憶・感情が第八識に格納されてずっと相続されていくと説明されています。これが限りなく続いていく。死んでからも。修証義の中でよく読まれる道元禅師のお示しですが、亡くなるときに「唯独り黄泉に趣くのみなり。己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり」と示されていることを唯識的に説明するとこうなります。中有の体は意識からなる体で意成身ともいわれます。沢庵禅師も別の著書 (『玲瓏集』 「中有と申すは・・・」) で詳細に説明しています。道元禅師は『正法眼蔵道心』の巻で「この生をすてていまだ後の世に生まれざらんその間、中有ということあり・・・」として、そうなったときにどうしたらいいかを詳しく記しています。禅宗でもそうですし、たとえばチベット仏教のニンマ派の『死者の書』は有名ですが、ゲルク派にもそれに相当するものがあります。
注目すべきなのは昔の人たちはこういう話を在家でもお坊様から聞いて知っていたということです。『月の抄』ではこのあとに人が生まれてくるときや死ぬときにどのように心が変化していくかが書かれています。生まれるときには第八識から順に第七識、意識、前五識と現れてきて、死ぬときは前五識から壊れていって意識が第七識に溶けこんで、第七識が第八識に溶け込むといったことが書かれています。十兵衛が「此次でに御物語面白さに書する也」 (このついでにいろいろとお話をきいて面白かったので書き留めておく)と感想を書いています。もともとは天地の種子のことを質問したのですが・・・というより、種子 (シュウジ)って何ですかとお父さんに聞きたかったけれども、それには実は深い意味があるので宗矩は沢庵和尚にわざと聞きに行きせています。それもわかってと沢庵和尚は詳しく説明しました。生まれるとき、死ぬのときの心の状態について話がおよび、十兵衛も興味を持ったようです。
66) 柳生心眼流の免許体系57 唯識の八識
この粗い意識自体は寝ているときは消えて起きると立ち上がります。しかしその奥に流れて働いている「本心」には始めもなければ終わりもないといわれています。 前にも書きましたが『兵法家伝書』に「本心と云は本来の面目、父母未生以前よりそなはりて形なければ生ずるということなし。滅するという事なし」とあります。人は子供が生まれると父母と呼ばれます。そのような概念の立つ前のこころ、つまり本心ということになります。本来の真面目 (本来の本当の姿) という言い方にもなります。本心は生まれるよりもずっと前からあって、私たちの心は初めのない昔 (無始以来) 続いてきているというのが禅や仏教の立場です。
十兵衛の『月の抄』「天地之種子之事」で唯識の八識 (眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の前五識と意識、第七識、第八識) の説明を沢庵和尚から十兵衛が受けて書いています。
「天地之種子とはなんですか」という十兵衛の質問に宗矩は「是の習六ヶ敷していひ分かたし。和尚に奉尋べき」 (難しくて説明できないから和尚にお聞きしてみろ) とだけ答えています。十兵衛はその後沢庵和尚に質問して教えてもらいました。これは仏教の唯識学の基本的なところをまとめたものです。十兵衛にとっては興味深かったらしく、詳しく教わったことを書き記しています。
宗矩のコメントがないので、本来はここでは取上げなくていいのですが、少し脱線して説明させていただきます。
お釈迦様が亡くなってからしばらくして、教団は上座部と大衆部に分裂し、さらに見解の違いで部派仏教がたくさん出てきます。キリスト教の勃興する紀元1~2世紀ころにインドとその周辺では般若経、法華経、阿弥陀経、華厳経など大乗経典のもととなるお経が編纂されていきます。そして3~4世紀ころになると般若経の空の思想を研究する中観派、さらに少し遅れて心のはたらきを詳しく分析する「唯識派」が活躍します。この両者ははじめ対立しますがやがて両者を取り入れて修行に生かそうとする流れができ (瑜伽行派) 、さらに密教がおこってきます。唯識学は「無著 (アサンガ)」と「世親 (または天親、バスパンドゥ)」という兄弟の著書を根本にして学ばれ、孫悟空で有名な「三蔵法師 (玄奘三蔵)」はインドにこの唯識学を勉強にしに行き持ち帰ってきた方です。中国から日本にも伝わって、奈良の興福寺などで研究されました。密教はその後、初期密教 (チベットでは所作タントラ)、中期密教 (行タントラ、瑜伽タントラ)、後期密教 (無情ヨガタントラ) と発展して、その後はチベット仏教に受け継がれていきます。日本の密教は中期密教までの伝を受け継いでいます。
沢庵和尚は「是は八識の理をしるべし」として、「麻、縄、蛇、因、像、果」「円成性、依他起性、偏計性」などと書いて説明していきます。ややこしくなるので今回は各々は説明しません。また前の五識を麁識 (粗い意識)、第七識と第八識を細識 (微細な意識) と区別しています。
65) 柳生心眼流の免許体系56 数息観
柳生心眼流 柳心館のホームページを拝見しておりましたところ、昨年12月24日の納会の際に、館長の佐々木崇哉氏から皆伝が伝授されたとのことが書かれていました。そのまま読み進めていくと「今回の皆伝免許の伝授は初代館長星彦十郎師範が昭和15年に発行した以来。2代館長~5代館長は皆伝を発行していなかったので、実に85年ぶりに柳心館長が発行という歴史的な伝授となりました。」と書かれていました。
なんか不思議。2代館長~5代館長が皆伝を出していないということは、ご自身はどなたから皆伝をいただいたのでしょうか。つまりいろいろとは修行されても、法流というか最終的にどなたの弟子として皆伝をいただいたのか、どの師範の心技を中心に据えて伝えていくのかということです。同じ柳生心眼流でも家風がありますし、伝わっている技も違います。こういうところは他の皆伝者は気にするところですので、ぜひしっかり表明していただくのがいいです。そのうえでご精進いただければと思います。
坐禅をしているといろいろな気づきがあります。これを坐禅の効用と言ってしまうとお坊様からは怒られてしまいます (坐禅して何になると聞けば、「無功徳」とか「なんにもならん」という答えが返ってきます)。しかし在家としてはこれも良くて通っているところがあります。なんか清々しくなったり、在家の先輩は警策をいただいて「肩こりが良くなる」とか言ってました。自分も頂くと血のめぐりがよくなる感じがして、積極的に頂いたりします。
さて、坐禅の入り口として「数息観」があります。お釈迦様から伝統の方法で、数を数えてもいいし、数えなくてもいいといわれます。自分の吸ったり吐いたりする自然な呼吸に自分の意識を向ける方法です。古くは「止」(シャマタ) と言われます。後代にいろいろな方法が出てきて、いろいろな物や仏様の像などに集中したりもします。何かの対象に心を集中させるということです。そうすると、ざわついた心が自然に静まってきます。
坐禅は「身を調え、息を調え、心を調える (調身・調息・調心)」といって、この順で整えて、うまくいかないとまた身や息を整えていきます。これはもともと『天台小止観』から出ているようです。日常生活の頭のごちゃごちゃとした思い(思考、感情、概念) をいったん横において背筋を正し、呼吸に集中していると、思考が現れては消え現れては消えしているのが分かります。自然な呼吸の中で思考のない間も心は続いていきます。そして思考がまた現れてきます。思考が現れてそちらに引っ張られているのに気付いたら、やさしく呼吸に意識をもどしていきます。まるで青空の中に雲が現れては消えも現れては消えといつまでも続いていきます。そのうち息も意識しなくなります。でも意識はずっと続いています。
ただこういうことは、とくに初めのうちはなるべくちゃんとした資格を持った方に指導していただくのがいいです。このときの心の扱い方は指導者により様々で「とりあわない」「相手にしない」「そのままにする」「おなかのところにおいておく」「おしりの下にずどんと落とす」とか。ここでは頭でこういうものと理解していただきために一例を書いています。坐禅から立つ場合も急に立つと転倒などあらぬ事故にもなりかねないので、終わり方もよく聞いて実践するのがいいです。
64) 柳生心眼流の免許体系56 転じて幽にして跡のなき
ブログの更新の間が開いてしまいましたことを申し上げます。またマヌラ尊者の偈頌について細かいところですが触れておかなければならないことを落としてしまったことに気づきました。
伝書で「心随万境転」 (『兵法花伝書』柳生家本、天理本) と「心随万鏡転」(『新陰流兵書』) の2つ書き方があります。境だと見ている対象、鏡だとそれを写している心の意味ともとれるのですが、新陰流兵書でも宗矩の解説をみると、対象 (境) の意味と宗矩が理解しているので (「何にても我に向来るよろずを万鏡と云也」) 、いずれの場合も対象 (境) と受けとってよいと考えられます。
この「転」は回転するという意味だけと受け取ると武道の意味と合致しないです。転にはものが動いていく、時間や位置が進んでいく意味があります。仏教でもそうですが、新陰流兵書のもう少しさきに「水の流れて先に転ずるごとくに心の先に転じて幽にして跡のなき」というところでその用例があります。
下の句ついては一般には「随流認得性」なのですが、『新陰流兵書』では「遵流認得性」になっています。同じしたがうでも随 (ずい) より遵 (じゅん) の方が少しきついいい方です。遵流を宗矩は「流のごとくに転じて」、性は「心の転じて跡のかすかなる所をしょう (性) と云也」、認得は「とくとあきらめて (しっかりわかって) 」と説明しています。つまり、心はいつも水の流れのように動いていて一瞬も跡をとどめないというあり方を十分わかって「我が一心を用いなすこと簡要なり」「跡に残らぬ所の心を兵法に取用べし」と説明しています。
ごちゃごちゃとわけのわからない話をつづけております。こういうことは分からないでいいです。無理にわかろうとしないで、「そんなこと言ってたなあ」ぐらいに心に届めていただくとありがたいです。あるときふとしたことから、ああ、そんなことかと合点していただければそれで十分です。
さて、宗矩はおそらく面前で沢庵和尚から仏教的な説明を受けて、それをどのように兵法に引き当てて考えたかというと、四句ともに「転じて幽にして跡のなき」を用いよと言っています。そうすると、実は前の二句と同じことになります。ですので前の二句で足りるということになります。兵法で受け用いるのは「転じて幽にして跡のなき」というところ。つまり「転ずる処実に能く幽かなり」だけでいい。「四句ともに兵法の心持には一所に心をとどめず能幽なりと云所を取り用べし。初心より極意まで此の心のくべからず」と言い切っています。原文をぜひ読んでみていただければと思います。(『新陰流兵書』 改訂史料 柳生新陰流 上巻 新人物往来社)
さて、どうして『兵法家伝書』では後の二句は道の師に聞けといったでしょう。これは私なりの考えなのですが、私たち世俗のものが「本心」から言うと使うときには「本音」とか自分が言わないけれど心に思っていることを意味して使います。たとえば昔なら手紙には書けないほど大切なことは使者に口上で伝えさせます。「内証 (今の内緒)」というと、世俗では本音のことですが、仏教では仏様の深い悟りの心そのものを指す言葉です。ここで沢庵和尚のいう禅の「本心」はもっと世俗の概念を生み出すより深い奥底の心 (あるいはより微細な心) なので、誤解してしまう可能性があり、兵法者が説明するよりその道の専門家にきくよう勧めるのが良いと判断したと思います。そのうえで、宗矩自身がわが兵法にあてはめる (つまり世俗の者が借用する) と「四句共に兵法の心持には一所に心をとどめず能幽なりと云所を取り用べし」といい、さらに「よく幽かなる心をとくとあきらめて、転じて後のかすかなるよう」努めるべきだとし、最後には「当流の極意を知らんと欲せば、心の理を知る可し」と結んでいます。言葉は違いますが私たちの流れでも全く同じです。伝書や口伝をいただいている方はどこからそれが伺われるのか、探してみていただければと思います。
