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36) 柳生心眼流の免許体系28 右足と左足はどっちが正しいか
伝書のことが出たので左右についてお話します。私たちの流れではあまりしませんが、柳生心眼流の他の流れだと右足を出して、その次に左足を出してなどと舞の形付けのように形の内容が書かれているものがあります。これは私たちの流れではあまりしないところです。してもいいのですが、それは入り口にすぎません。それどころか伝書には左右が逆転して出ていたりします。それでよいのです。なぜかというと状況次第だからです。
たとえば形としては初めに一歩引くことを教えますが、状況によっては一歩出ることもあります。これは相手との関係性で決まります。
相手のある攻め手 (箇条)に対して、右足を出すか、左足を出すかといったことは初めの段階では動きを覚えていただくためにある形を示すのですが、あとからどんどん変化していきます。ある程度覚えたらこれは右足前でも左足前でもしますので、右でも左でもできるように理解を促していきます。ですので「通例ではこう書く」というのはありますが、どちらが正しいということではありません。
相手によっても違う。自分の状況によっても違う。道具によっても違う。こういうのを「変化」といいます。基本の形はあるのですが、それに変化がたくさんあるので、縦横無尽に変化していくものです。うちでは「千変万化」、桃生では「変化無窮」と書かれています。ある段階からはこれができないといけないです。目録あたりからこういうことを少しずつ教えていきます。
星国雄宗家も「うちには変化がたくさんあってひどいんだ」とおっしゃっていました。私も代を継いだ時に技の数を数えようと思った時期があるのですが、無茶苦茶になっていくのでやめました。数えられないです。七箇条と言いますがこれもおよそ (大体) です。結論は「教わった通りに伝えればいい」でした。
技術や感性を伝えるのはこういうことだと思います。昔からこうやって伝えてきたのでしょう。陶工の人が小さいころ、若いころから親や先輩と同じ作業場に出入りしてその姿を見て、一緒に仕事をして覚えていく。これはどこからどうとういうことでもないし、土の採り方、作り方、ろくろの回しかた、釉のかけ方、焼くときの薪の入れ方、温度の見方、それもいろいろな種類の作品がありますから、これについては10箇条、これについては15箇条などとは言えないと思います。はじめは見て、まねて、教えてもらって、批評してもらって、またまねていく。その繰り返しで、いつの間にか親と同じものを作るようになります。「いいね」と言って買ってもらえるものを作れるようになります。そしてそのうちに自分の作品とは何かを考えるようになる。
だから技は立ち合いで伝えるしかありません。先生は亡くなる1週間前、道場で倒れるまで教えてくださいました。いろいろな技術があるけれど、少しずつできるようになっていく。星先生は「どんな学者もいろはのいの字から学び始まる」とおっしゃっていました。一本目から始まって、徐々に箇条を増やして、できるとさらに変化を覚えていきます。自然に動けるようになっていきます。さらに自分でもその隙間を埋めて、二段にも三段にも変化しすきのない体をつくっていきます。
柳生宗矩は伝書『進履橋』で「右之数々を能々習い得て、此中従り千手万手をつかひ出すべし。三学九ヶなどと云は大躰を云也。此道をよく心得てより太刀の数を云べからず」と述べています。柳生心眼流も同じです。
剣術でも初手は面ですが、私たちの流れでは面にもいろいろな方法がありますので、いくつにも膨らんでいきます。棒の攻めどころもこれと違うものがあったりします。マニュアル本では初めの部分は伝えられますが、変化のすべては伝えられません。
星国雄宗家は「こういうことが出来てはじめて北の柳生もまだ大丈夫だと (他流の人から) 言ってもらえる」とおっしゃっていました。こういうことは古い伝統を持つ流派ならきっとどこにもあることなのでしょう。右でも左でもない技 (左右にこだわらない技) を使い出だすのうちの流れです。そのように精進稽古を続けます。ですから右でも左でも正しい。「出た技はみな本当の技」と言われます。
