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2025-11-12 00:32:00

33) 柳生心眼流の免許体系25  伝書研究の落とし穴 その4

今日は伝書の落とし穴に戻ってその4をお話します。

伝書には単純な間違いもあります。これは背景上どうしてもやむを得ないところがあります。江戸時代でも文字を完全に読める人は少ないですし、書ける人も少ないです。異体字も多いです。保存状態が悪ければ読み取りづらくなります。梵字は正確に書かれていることが少ないです。なぜかというと、梵字 (つまりサンスクリット語の悉曇文字) は近代になるまで専門の僧侶しか学べなかったからです。僧侶の方でも専門に学ぶ場合は加行という修行をしてから伝授を受けたのだそうです。現代ではサンスクリット語はいろいろな大学で学ぶことができます。

史料は写しているあいだにいろいろと変化してくるので、入手可能ならいくつかの同類の資料を慎重に比較校合して内容を確定することが望ましいです。ただ、実際上伝書を書くときは、あまり修正してはいけないともいわれています。ここは難しいのですが、同じような内容を奥ではわざと別に置き換えてさらに奥のことを伝えたりするためです。この微妙なところは、体験しないとわかりないと思いますが、本当にすごいことだと思うことがあります。例えばですが、同じ歌のように見えるのですが、ある時は刀法を言っていて、ある時は人生を言ったりします。そう、兵法は生きることですから道場でならったことは最終的には人生に生きてくるのです。先師様方もこういう体験をし、そのうえでこうおっしゃっているのだろうと感じることがあります。こういうことをわからないうちに理解不足から直してしまうと先師様方の真意を失うことになります。

以前にお話ししましたが、同じ甲冑伝書でも伝系が違ったりしています。この場合は、違うままに書くのがよいとされています。ただこれもとても難しいところです。このことのために伝系がまちまちで確定できないことが生じてしまうからです。このことはすでに江戸時代寛政年間の伊達藩の諸芸道の調査を記録からの抜粋である『御家中士凡諸芸道伝来調書抜書』でも指摘されています。おそらく正確な伝系は印可になってから口伝で教えたためと思われます。伝系のお話はまた別の機会にもとり上げたいと思います。

実はそれだけでなくて、往々にして後から宛名や内容が抹消・改変・加筆されていたりします。他人の伝書を持ってきて宛名の部分を切り取って別人に宛名に変える手口もあります。こういうときは位置がおかしかったり筆跡が異なっていたりします。これは江戸時代からあります。こういうのは「いたずら」といいます

発行されていない伝書が偽造されたりもします。偽造は私も管見しています。星国雄先生が出していないある方あての「小具足伝書」の写しが出てきました。入手してお持ちしたところ、星先生もにやにやしながら「なんでだろうなあ」とおっしゃっていました。筆跡から先生は書いた方が分かったようですが・・・