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2025-08-12 22:37:00

21) 柳生心眼流の免許体系13  歴史を学び、思いを重ねる

7月に終戦80年の慰霊の旅に参加して沖縄に行ってきました。一同で慰霊塔に献花して、摩文仁の丘を歩いてきて、地元出身のガイドさんからいろいろなお話を伺いました。そのほかにも講和や神社の参拝を通じて、本当の沖縄の歴史に自分自身で触れることができました。あまりの酷さに嗚咽してしまったこともありました。とてもここで書けるような話ではありません。今でも不発弾がたくさん残っていて、完全に取り除くにはまだ大変長い時間がかかるようです。

歴史を勉強して思うのは、人間は同じことを繰り返してしまうものだということです。世の中は大きく変化していきますが、生物学的に、つまり人間という種の遺伝子が変化するしていく速度を考えれば45000千年前も今もあまりに変わっていないでしょう。

繰り返さないようにしなければならないです。そのためには過去から学んで問題点を考え研究し、いかに良い方向にもっていくかを工夫する積み重ねなのだと思います。状況も変わりますからいつになつても完ぺきということはないのでしょう。しかしつらくても目をそらさず対峙して考えていくしかないと思います。そしてその背景には知恵と思いやりが必要でしょう。これはどのような分野でもそうではないでしょうか。

柳生宗矩や流祖も本当にむごいこと、筆舌に尽くしがたいことが普通に起こる乱世をいやというほど見てきたはずです。それだからこそ「人よ幸せであれと」願う心が強かったでしょうし、そのために平和な世の中になっても残りの人生を平和を維持するために費やしたのだと思います。

2025-08-06 21:23:00

20) 柳生心眼流の免許体系12  師弟の信頼関係は大切

小具足はかなり難関です。歴代もここをどう進ませるか相当苦心があったようです。しかし、やはりこれはしょうがないのだと私も理解しています。私も進んでほしいのですが、手加減があると後世に悪い影響が出るので腹をくくってだめなものはだめと言っています。自分ができているかといわれれば不十分だとは思うのですが、そうなるよう努めながら役目としては評価役をしています。

古武道の世界は教わるものさえ教われば師匠を殺してでも自分が一番になりたいというということが起こり得ました。別のたとえで言えば親の財産管理の権限を渡されたとたんに親を粗末にする子供。今でも結構そういう方はいらっしゃいます。流儀内でもそんなことをたくさん見てきました。驚いたことにごく最近もありました。それがこのブログを始めるきっかけになりました。

でもそういうものだということはわかっているので、簡単にひっくり返されないように対策を講じています。星先生も「弟子に裏をとられるような教え方はしておかないんだ」とおっしゃっていました。

こういうことは「流儀の秘密」として口伝されます。たとえば甲冑や小具足も実は段階があります。こういうことは上の師範ならわかっています。誰にどくらい教えてあるか、どこに本伝の武器術が行っているか、技は教えても伝書は授与していないとか。こういうことは師範同士で情報をやり取りしていますので、流儀内でどのくらい誰が知っているのかはおのずとわかっています。それどころか、その方の動きを見れば柳生心眼流の場合は、だいたいどのくらいというのもわかってしまいます。その伝授を教わっていないから、その伝授を理解した身の動きになっていないのでわかってしまうのです。

これは、師範がどの団体に属しているとかいうものではなく、純粋に柳生心眼流という流儀としてのことです。

一般の社会でもこの人は教わるものさえ教わったら、ひっくり返すだろうなと感じる人に、そうそう大切なことを教える人はいないと思います。そうなんです。普通それが当たり前。だからそういう人がよい技や本式の伝授を教えてもらっているはががないということになります。

師弟は信頼関係で結ばれていないとだめなんです。そのうえで師匠も力の限り教え、弟子も師匠に全身でぶつかっていく。そして本当の心技が伝わっていきます。先生と喧嘩しますが、でも目指す方向は一緒です。よいものを伝えていくためには師弟お互いが信頼して努力しないと伝わらないのです。決して師匠も自分がえらくなりたいとかそういうことではないのです。

2025-07-28 22:45:00

19) 柳生心眼流の免許体系11   無刀が分かれば皆伝

しかしこの無刀はおよそのものです。なぜかというと、柳生心眼流兵法での無刀とは「人生を刀なしで行こう」という話だからです。だから「無刀がわかれば皆伝」という言葉もあります。「柳生心眼流の皆伝は無刀」ともいわれています。この無刀は技としていわれる無刀取だけでなく、それも含んだうえでもっと大きなことを言っています。これは伝書には水魚剣というところに著語 (コメント)して「鏡のなかにものが映っているようだ」(大意) と書いてあります。これは禅でいう天地いっぱいの命 (これを無心とも無ともいいます) の中で、生きとし生けるもの (一切衆生とか、有情といいます) が生かし生かされているという事実 (縁起とか諸法実相とかいいます) が心という鏡に映し出されているというのです。みんな一緒。少し難しいですね。併せて流祖は「天地和合」という言葉でも示したといいます。つまり皆がこの世界で生かし生かされているのです。それをわかったうえで、それを摩利支天様に見ていただいているうえで、あなたは何をするのか。ここは苦心して進むしかないです。あなたにしかわからないことです。もちろん兵法的な意味合いもあるのですが、それは立ち合いでの伝授です。

2025-07-21 23:20:00

18) 柳生心眼流の免許体系10  心のコントロール

  小具足では甲冑時代よりもっと精妙に運んでいくことを工夫します。技も状況次第。その場にふさわしい技にならなければならないです。ここらへんになると教えるというよりは自分なりの答えを出していただき、師匠が点検することになります。もちろんヒントは出したうえです。

このくらいになるとその人の深いところの心、とくに欲望が頭をもたげ始めます。いろいろな出方をします。私も何人もそういう方を見てきましたし、彦十郎先生の時代のお話もいろいろお聞きしました。まさに自我との勝負。10年前後でそういうことがおこることが多いように思います。習い始めて10年くらいのところは本人にとっても区切りの時期だし、迷いも多いのだと思います。

人の言葉を口パクしても許しません。わかっているようなふりをしても声に出して自分の言葉で答えなければ、またその身で実行しなければ合格点は出せません。その人の心の奥底からでる言葉、行動が今まで学んできた流儀の心技に一致しているのかが大切です。別の言葉では心法と刀法の一致、心刀一致です。ここになると禅について学んだり、古い時代の武道家の著書、うちなら柳生石州斎や柳生宗矩の伝書や逸話を学ぶべきです。

師匠の印鑑偽造や伝系の詐称は問題外ですが、俺が俺がもダメ。表では活人剣といいながら心の奥で別のことを望んでいるのもダメ。わからないのにわかっているふりをして話すのもダメ。多数派工作をしてもダメ。外見はへりくだっていて実は内には計算ずくもダメ。師匠の後ろに隠れるのもダメ。親子兄弟だからという甘えもダメ。自分はしないで人にさせるダメです。そういうのって武道家ですからお互い見たり話していればわかりますよね。

自分もあったように思います。先生ともけんかもしました。「もうやめます」と言いました。ですが先生は家族に「あいつは戻ってくる」と言っていたそうです。なぜ戻ろうと思ったのかわからないのですが、やはりこの武道が自分にとって必要不可欠だったのだと思います。自分の求めるものがそこにある。先生も何も言わないでいつものように迎えてくださいました。

2025-07-14 00:03:00

17) 柳生心眼流の免許体系9   「武道をしているとちょっといいんだ」

星国雄宗家の若いころは戦前とか終戦直後とかなので、本当に危険なことがたくさんあったようです。伝書にあるような技や口伝を星国雄宗家が実際に使っていらっしゃるのです。

星国雄宗家も当身の話はたくさんあり「ショックを起こされるとひどいんだ」とおっしゃっていました。「野中幕之伝」も使っていらっしゃいました。島津先生はストリートファイトがお好きだったので、相手とけんかして肘とか痛めて自分で治したりしていました。「酒井君もいる?」とかいって、私も自転車のタイヤのチューブをもらったりした。私の生まれたのも先の戦争が終わってまだたった21年の時でしたから、周りは戦争の事をよく話していました。空襲の話、疎開の話、配給の話、引き揚げの時の話等々。両親は次戦争が起こったときも、どういう風に生きていくかという選択肢は考えていましたし、そのように教えられて育てられました。そういう時代でもありましたので、星先生のお話を聞くととても勉強にはなりますし、そうやって生きていくのだということを先生から沢山学ばせていただきました。といってもおそらくあまりにむごい話は口をつぐんでいたと思います。

今の世の中で自分が同じようにしようとは思わないです。道場では星国雄宗家のそういうお話をすることはありますが、逃げられるなら逃げた方がいいです。私も今まで何回かトラブルに遭遇したことはありますが、原則は警察に通報して来ていただきました。合法的に対処するのは警察の方がプロです。

武道をしていてよかったと思うのは、そういう場合でもある程度落ち着いていられることだと思います。「武道をしていると、ちょっといいんだ」と星国雄宗家もおっしゃっていました。桃生の師弟合祀碑にも「武道を稽古していると争いになってもそれぞれの人が何をすればよいかがわかるようになる (大意) 」と書かれています。

目録くらいになって速い動きができるようになった方には、速く動きをしても相手をよく見て自分の心を平静に保つことを訓練していただきます。

 

根本的にはそういう状況に陥らないのがいちばんよいです。危険なところに入らないのが基本です。

 

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