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2025-10-06 23:12:00

28) 柳生心眼流の免許体系20  伝書研究の落とし穴 その2

伝書には同じことが別の表現が出ていたりします (〇詰、〇殺、〇切)。これはあるニュアンスを伝えています。その方にはそういう風に教えたんだろうなと受けます。

右足とかいたり左足と書いたりします。右足と書くべきところを左足で書いてあっても、それ私たちの流れでは大きな意味を持ちません。もともと技は右でも左でもよいのです。右でも左でも動けなかければなりません。それは状況次第です。

他の流れでどちらの足を出して、その次はこう動いてなどと書いてある伝書を見たことがありますが、それは初めの段階でどのように教えるかであって、そこを通り抜ければ、つまりその技の大切なところが分かれば右でも左でも変化できます。私も初めの技はだいたい同じに教えますが、その方にははじめからは無理だと思えば少しやさしいやり方に変えて教えます。十分習得いただいてから本来のものを教えます。習得できてきた方には変化の方法や、大切なところや意味を説明して導きます。こういうのは「前、本、後」といいます。もともとの技がどこにあるんだろうというくらいに変化します。でも同じ技です。このように使えて、初めて生きた技になります。

でも無茶苦茶に変えているわけではないので法則性があります。どこかで見たものをまねて作っても、法則性がなくバラバラなものを寄せ集めただけなのでわかってしまいます。木の幹がなくて枝葉だけ寄せ集めたように見えるからです。反対にその法則性で変化していれば、江戸時代であっても間違いなく先師様がこの流れの方に渡したのだということもわかります。柳生心眼流と名乗っても、本やビデオ、演武などをみて作ったか、師伝を受けているのかはこういうところで判断されます。