ブログ

2025-10-01 00:33:00

27) 柳生心眼流の免許体系19  伝書研究の落とし穴 その1

口伝では流祖は門人の機根や好み、興味によって教えることを変えたといいます。仏教ではお釈迦様の時代から対機説法と言って、その人の悩みや求めに応じて、必要な法を説きました。流祖もすべての人に同じ形の習得を強い、同じ技術を教えるということはしませんでした。流祖はいろいろな武器術の使い方を知っていたでしょうが、柔術を求める人に無理に剣術を教える必要はありませんし、剣術を求める方に無理に槍を教える必要もないです。時代背景から考えれば農民は剣術を習うことは難しかったはずです。しかし自衛手段は必要ですので、それに必要な技ということになります。ですので、もともとそのような教授法だったのです。流祖の門人でも流名 (例えば「柳生心眼流剣術」とか、「柳生心眼流槍術」とか、「柳生心眼流柔術」でしょうか) はさまざま、箇条数もさまざまだったけれども、その身の動きは皆同じだったと二代が述べています。江戸時代寛政年間の伊達藩の調書にも柳生心眼流は3か所に出ていて、それぞれ伝える内容が異なっています。これは担当者が上申したものでありしかも抜き書きですので、実際にはもっといろいろ違う流れが存在していたと考えられます。

私もいろいろと技をいただいていると教えるのも大変ですし、稽古道具や演武に必要な甲冑や道具を用意するのはかなり大変な作業です。その方が柔術だけで十分というならそのような教え方をしてもよいと思っています。その人一人ひとりは自分の身が守れればいいことです。それなら目録か甲冑免許くらいで十分ですし、全員が師範になる必要もありません。

したがって柳生心眼流の伝書は初めはだいたい同じなのですが、奥に行くとその人に伝えた内容によって大きく変わります。ただこのためにいろいろなことが混乱しているのも事実です。ここは今までの歴史を考えながら私なりの書き方をしているところもあります。

もともとあるものでも一部しかかいてありません。そこから何項目かを選んで書いて、あとは口伝します。別の方への伝書では別の項目の組み合わせになっていたりします。流儀の内容を変えたり革新しているわけではないのですが、それがわからない方は時代によって変化したとか、発展したとか解釈してしまう可能性があります。師匠が「この方にはこういうことが大切だ」と考えて詳細に稽古し教えた項目が重点的に書かれているはずです。つまり師匠の思いが現れているのです。これはとても大切です。これが分からないと師匠の心が受け取れないからです。このほかにも師匠の思いを伝える方法がいろいろありますが、これは口外しない方がいいのでここでは書きません。