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2026-03-31 17:05:00

53) 柳生心眼流の免許体系45  連山峰遠し

埼玉はだんだん暖かくなってきて、ときに暑いくらいにです。4月も下旬になると夏のような状態になるのでしょう。先週は仙台に出稽古に行って、ふきのとう (ばっけ)、うこぎ、かんぞうを買ってきました。それぞればっけ味噌、うこぎごはん、おひたしにして春の香りを楽しみました。東北にいたころはずいぶんいろいろな山菜を楽しんでいましたが、埼玉、特に私のいるさいたま市ではあまりスーパーに出ません。ばっけ味噌も子供のころは好きでなかったのですが、影山流の羽川先生のところで稽古をさせていただいていた折に、奥様手作りのぱっけ味噌をごちそうになり、それからは自分でも作るようになりました。4月末にも宮城に行くので、またさらにいろいろな山菜が出ていることと思います。

さて、私たちが道場で稽古するのはなぜかといえば、その価値があると自分たちで思えるから。実感できるから。楽しいから。どんな古武道流派も同じだと思いますが、道場での稽古は流祖の心技を正しく伝えていくことが大切です。そのために腐心しています。うちでいえば流祖の編み出した体のかわしと柳生の活人剣の心を正しく伝えること。それによって、あとから入っていらした方もその価値、大切さを実感できる。

流祖の身のかわしと柳生の活人剣の心をわかってほしい。しかし私たちの生来もつ受け取る力・理解力の乏しさ、身勝手・怠惰な習性から真伝というのは本当に伝わりにくいものです。加えて興味も視点もさまざまで、得意不得意、体の特性も人により違う。その人に適した方法をいつも考え、順番も場合によっては変え、伝える側も教わる側も心を砕いて稽古の「場」をつくらないと伝わるものも伝わらなくなってしまいます。そのためにいつもお互いが努力することが大切です。

とくに伝える側がこれをいつも自戒していないといけないと思っています。どの文化でも伝統を途切れさすことは自身の怠惰の一瞬でできます。ある日からやめればいいだけですから。伝えないことの格好いい理由をつくって「だから俺は伝えないんだ」という方もいらっしゃいました。しかし星国雄先生はそのような言い訳はなさいませんでした。最晩年も「心配するな。全部教えるまではあの世に行かない」「竹永隼人が俺の体を使って残そうとしている」とおっしゃっていました。

先生がそのころおっしゃっていたのが「親父は血を吐きながら俺に教えてくれたんだ。どれほど苦しかったかと思う」という言葉でした。彦十郎先生は最後の気力を振り絞って国雄先生にバトンタッチしました。その結果「(だれが一子相伝を継ぐかは) 俺はどうでもよかったんだ」という国雄先生は、亡くなる1週間前まで道場に立たれそこで倒れました。

狐崎の佐藤初治先生が星国雄先生に門人に取手を教えるときに自分が投げられなくてはならず、「いやあ、国雄先生、60歳過ぎてから投げられるのはひどいですよ」とおっしゃっていたとのことです。先生も自分が投げられながら門人の方に一生懸命伝えようとしていたのでしょう。人は40歳、60歳、そして75歳を超えるころに体が変わってきます。私も今年は還暦になり、その言葉が身に染みてまいりましたが、マットを敷いたうえでしばらくは投げられようと思っています。

私が学生時代に島津兼治先生にお会いしたとき、先生は今の私と同じころだったように思います。当時の先生はたいそう稽古をしていて、ゴムまりのような弾性に富んだ力強く速い動きをされていました。神社境内の稽古で学生さんたち相手に素振りを教えながらぱっぱと動いて、「君たち、下手くそだなあ!」などと叱咤激励していました。

私が星国雄先生に入門したのは先生が74歳のときで、そこから先生がふんばられて18年教えをいただくことができました。

禅語に「連山峰遠し」というのがあります。修行というのは登っても登ってもこれでいいということはない。またその先が見えてくる。でも登り続ける。歩いていく。それでいいです。武道に限らず芸能の世界はみなこれであると思います。

2026-03-23 22:03:00

52) 柳生心眼流の免許体系44  刀の形 

先週は外から講師の先生をお招きして試し切り会をしました。昨年は1回でしたが好評だったので今年は2回の予定です。うまく斬らないと刀も曲がってしまうので、何回も先生には直していただきました。皆さん喜んでくださったのでなるべく続けていきたいと考えています。

星国雄先生は「木刀で十分だ」とおっしゃっていました。それは先生が幼いころにも自宅に何振も刀があって裏の竹やぶにいっては試し切りしていた経験があり、若いころに刀匠に弟子入りして刃の焼き付けができるほどに刀のことがわかっていたためのお言葉です。

うちの流儀は左太刀に持ち替えがあるのですが、真剣では気を付けないと持ちかえのときに手を斬ってしまうことがあります。実際、私も掌を切ってしまったことがあります。木刀と真剣では重心も重さも違います。すこしでも刃に触れれば切れます。ですので古流を学ばれている方は絶対に刀の刃のある間には入りません。怖くて入れないです。切先の届かないところまで引く (抜くといいます) か、柄や腕の位置まで入るか (入身といいます)。入る場合も切り返されないように身を防ぎながら入っていきます。こういうのは「十字神妙剣」「大体の神妙剣」という教えに入っていますし、目録あたりでしっかりと稽古する内容です。

刀は時代によって形 (姿とか体配といいます) が違います。その時代だけの一時の流行もあります。両手で持ってつかう鎌倉時代以来の太刀、それよりやや短い打刀 (うちかたな)、そして室町時代に出てきた技法である片手打ちに使う刀など。太さや反りにいろいろと特徴があります。純然たる戦争用の武器として制作したのは桃山時代までで、江戸時代になると平和な時代もあって美術的な美しさが際立っていきます。そして幕末になるとまた実戦を意識した姿になっていきます。

私は流祖の時代、つまり安土桃山時代や江戸初期までの刀 (末古刀) に興味があって、そういう刀があるとつい見てしまいます。流祖が使用していた刀はこのような刀ですので、その時代に思いを馳せてしまいます。注文打ちで作られる美しい刀もよいですが、そのころは「何日までに1000振納入せよ」などという時代ですから、数打ちといって何本も同じ規格で少し粗製でも沢山作っていきます。うちの流儀の技はこういう刀が使いやすいようにできているのが実感としてわかります。

厳密に流儀の形の刀というのはないのですが、およそこういうものというのは示されています。太刀としてはしのぎの高いものが好まれていて、東北で古くからこういう形があります。また奈良の大和伝から派生した系統は鎬が高いですし、仙台国包なども大和伝の名手なので、こういうところから言われているのかもしれません。打ち刀 (うちでは中刀といいます) 225分が一応の定寸です。鎧通は厚身平造りの世にいう鎧通とは違う形です。こういった刀の歴史は武道の歴史とも共通する部分が多いですし、流祖の時代を知る上にも大切なので、門人の方には勉強することをお勧めしています。

ただ、流儀では「あるものを使う」ということが原則です。何でなければ使えないなどとは言っていられません。身の回りにあるものはすべて使って身を守るのですから。

 

2026-03-17 23:39:00

51) 柳生心眼流の免許体系43 秘するはしらせむがため その3

 

この日曜日は子供の大学の卒業式でした。いろいろな式辞もいただいて親としても大学の方々に感謝するばかりでした。『蛍の光』の合唱は2番まで歌われて、いままで何となく歌っていたとこですが、「止まるも行くも限りとて、互いに思ふち() よろづ () の心の端を一言に、さきく (幸く) とばかり歌ふなり」とありました。留まる人も進む人も道は様々で互いに思うことも数限りないけれども、その思いを一つにしていうなら、みな幸せであってほしいと私は歌う」という意味でしょうか。ほんとうにそうだなあと思いました。

さて、私たちの流れで興味深いのは、伝授の形では上の技の一部がさりげなく下の技の一部に組み込まれています。そのときになっていきなりやれと言われてもできないので、あらかじめ気づかれないように、でも上の技の一部をまぎれこませているのです。こういうのは「前稽古」といって先師様たちの教育システム的な配慮です。

晩年の星国雄先生は、「今日はこれを稽古してみよう」「今日はこれを研究してみよう」と、毎回ご自身でテーマを決めて、同じ技をあちらからもこちらからも見方を変えて指導してくださいました。こういうのを砕くといいます。ここがうちの流れの命でもあります。師匠が良く砕いて教えていないと、決められた技しかできない弟子になってしまいます。最終的には一手で勝つということでありますが、これはいろいろの場合に対応できるということを言っているので、大部分の方はよく砕いていろいろな場合を教えてもらわないとわからないと思います。これはご自身の仕事でも同じだと思います。

柳生宗矩の書いたものを読んでも(『兵法截相心持乃事』改訂 史料 柳生新陰流 上巻)、どちらかというと相手に形通りに打ち込ませてというよりは、どのようにきても、それをどう考えてどう処したらいいのかを事細かに書いています。この文書は元和7 (1621) に家光の兵法指南役に就任して、元和922日の日付であるため、稽古の時に家光から聞かれたことをいちいち答えて回答したことを書き上げて上申したと推測されます。たとえばどのように相手が構えても、こちらは左足前の半身か、真向正面を向いてか、右足前の片身か、その3つでよいと言っています。うちなら八点と左右の十時足です。そのような構えから、相手はどのように打ち込んでくるのか、いろいろあるだろうが・・・こういう場合はこう (「うちいだすところをうつか、うちいださぬものには、しかけてうつところをかつか、それをしるものにはわがうちを見せてそれをうつところをうつか、これ三つなり」) ・・・という形です。ということは、実際の立ち合いではもっといろいろな場合を教えているはずです。まとめるとこうなると言っています。

戦場に出れば相手は何流かわかりないし、持っている刀の長さも違う。全くの素人でむちゃくちゃしてくるかもしれない。それでも勝たなければいけないので、形を稽古するというよりも、いろいろな打ち込み (つまり、相手がどのようにこちらへ近づくか) をある程度類型化して教えていきます。そのような対処ができるようになっても、それだけでは雲をつかむようになってしまうので、最後にまとめるとこのようなこと()になって、それはここが大切とキモ (肝要・〇〇の大事) の部分を口伝で伝えて強調する。「太刀かまへをならい、そればかりをよきと存、はやかつとばかりこころにおもひ、てきにしたがわず、わが心ばかりにてうつ事を当流には、ひが事とあひきわめ候事」とは、習ったことを自分の都合で相手に押し付けてこうなるべきだと勘違いすることは間違いだということです。打ってくるのは相手です。近づいてくるのは相手です。その相手の心 (打ちたい、勝ちたいという欲望・欲求・衝動) をまず心の下づくりをしてよくよく見て従うことが大切だと強調しています。形ではなく、戦場でおこる実際のことを想定しています。たまたま弱い相手だけに勝てるだけの方法に身を任すわけにいかないです。できるだけ確実に勝つ方法を教えています。このような教え方が昔ながらの方法です。

でも考えてみると、これは皆さんの仕事でも同じかもしれません。私の場合も私が知っていること、教わったことを自分の意見として患者さんに押し付けるのではなく、患者さんの望みをかなえられるようにと動かなければいい医療は成り立ちません。「塩のとりすぎです。〇g以下に下げてください」ではまずいです。まずどうしたら減らせるかのガイダンスを聞きたい方もいらっしゃいますし、自分ではこうしたけどうまくいかないとか、この場合はどうなのかとか、聞きたいことはさまざまです。それに対していろいろなパターンを用意してお答えします。そのためには心を澄まして聞く、見るということがないとうまくいきません。

柳生心眼流も同じようなところがあります。初めから「形」として教わった方もいらっしゃるかとは思いますが、私は武器術に入っては初めに砕きをよく教わりました。それをまとめるとおよそこうなるという形で進んでいきました。ですので七箇条といってもおよその数です。実際にはもっとあります。習った通りにお伝えするしかないものです。

2026-03-08 23:53:00

50) 柳生心眼流の免許体系42 秘するはしらせむがため その2

武道を後輩の方々に伝えていくときも同じです。先生は「本当は基本二十一箇条でいいものを、切紙だ目録だと区別を作っているだけだ」とおっしゃっていました。そういわれても分からない方にとってはなんか腑に落ちないところでした。

しかし今は先生のお気持ちがわかります。混乱するので最初はしないようにはしていますが、いろいろ経験してくるとその人に合った方法があることがわかってきます。同じようにしても同じようには理解していただけないです。武器術、柔術、立合、坐取、興味を持つところも門人の方々お一人お一人が違うわけで、こちらが覚えてほしいと思うところもありますが、まずはその方が興味をもって楽しく稽古できるように工夫しています。たしかに基本二十一箇条や伝授の形はある程度決まったものがありますが、奥に行けばどこから入るかはその方と相対して、その方の受け取りをみて進めていくことになります。年齢的な要素もあります。若い方ならある程度力強い動きや柔術の受け身などもできますし、できだけしていただきたいと思っています。しかしある程度の年齢になった方では無理ということもあります。体の柔らかい方、固い方、また加齢により関節の固くなってきている方など、人それぞれ。同じようには教えられないのです。

私の場合も一般用皆伝が先で小具足が後でした。技だけで言えば切紙の時には表皆伝の技も教えていただいていましたし、相当上の技もそういうことは全く言わないで見せていただいたこともしばしばでした。こういうことは後からわかります。先生は私に合った方法を考えてくださったものと理解しています。

現代の社会では皆と同じでないと不安を覚える方がいますが、そうであれば別のカリキュラムをもつところで学んだ方がいいです。いかに短期間で質の高い効果的な教育をするか。それは教育の手法そのものですので教育学分野でしきりに検討されていることです。こういうことは時代が新しくなるほど効果的に教える方法が出てます。他流のシステムを見てすばらしいなと感じることもあります。現代武道のように、ルールを決めて試合を行う中で自分の極限まで高めていく、それもすばらしい方法だと思います。

うちの流派についていえば、かなり古い時代の習慣を残しているのでどうしてもオーダーメイドなところがあります。そもそも柳生石舟斎が門人に与えた目録も人により内容は異なっています。宗矩のもとにもいろいろな人が集まって指導をうけ、新陰流をついだ人もいれば、それぞれの流派を起こした人もいます。流祖の弟子もそれぞれ流名や箇条が異なっていました。そういう方法で伝わってきています。それはそれでよいところもあります。自分にも合っていたと思いますし、そういう方法で育てていただいたことに感謝しています。

 

 

2026-03-02 22:46:00

49) 柳生心眼流の免許体系41  秘するはしらせむがため その1

星国雄先生も「自分の流派では秘伝のものだったものが、他流ではそうでなかったり、順番が逆だったりする。つまり同じような技をみな持っているが、教える順番が違う」とおっしゃっていました。これはとても大切な教えです。同じ内容でもどう教えたらいいかという先師様方の腐心がそれぞれの流派のカリキュラムになっているということです。

柳生宗矩は『兵法家伝書』で「この三巻にしるすは家を出でざる書也。しかあれど、道は秘するにあらず。秘するはしらせむが為也。しらせざれば書なきに同じ。子孫よくこれを思へ」と言っています。秘することにより、つまり段階をつけることによって人はさらに奥に進もうと思うし、自分を奮い立たせることができます。秘伝とはそういうものです。伝えるため、教えるために段階を設けているのです。当然、必要な水準に届かない方には伝えません。武道だけでなく世の中の資格試験もそのようになっています。

仏教でも人を悟りに向かわせるためにいろいろな手段を作ります。これは仏様に「一切衆生に幸せになってほしい」という願いがあるからです。これを善巧方便とか、施設と仮設とかいいます。八万四千の法門というくらいろいろな方法や道があるといわれています。実際にはその人ごとにあるといってもいいので、これでは済まないことになります。「分け登るふもとの道は多けれど、同じ雲井の月を見るかな」というのはもともとはこのことを言っています。それどころか、万法、自然、ありとあらゆる存在、あらゆる機会を通して仏様が法を説いているという見方にもなっていきます。

兵法では策 (はかりごと)ともいいます。柳生宗矩は「運籌帷幄中 (はかりごとを帷幄中にめぐらす)」といっています。確かにいろいろなはかりごとをめぐらすのですが、目的は「負けぬ術を存じ居る」ということですし、もっと根本には自分も他人も安心して生きていけるようにするということが最終的な目標になります。徳川家康の旗印は「厭離穢土、欣求浄土」で、それは地上に浄土のような幸せな世界を作る、そのために自ら苦難の中で腐心するという意味であったことは皆さんもご存じのことと思います。自分のために嘘をいって相手をだまし打ち負かし、すべてを取り上げることではありません。自分ができることは限られているのですが、自分もその一端の責任を負うことが求められます。

このことはうちでは「野中幕」というところで示されていいます。幕とは仮に作るもの、現すものという意味です。これはもちろん武術的な意味合いもあり、荒っぽいことが行われた時代には星国雄先生も実際これを使って窮地を逃れたりしています。しかしこれはまた生き方でもあります。

現代の情報化社会でもわたしたちはいろいろなフェイク情報や危ない情報に遭いながら、それをかわして自分にとって意味のある情報をつかみとることを無意識にしていると思います。まずはかわす。スルーする。適切な安全な場所に自分を置く。つねに見張って有意な情報を見定める。これは武道の考え方と同じです。そして、さらに世の中に自分からアプローチしてさまざまな情報発信をしようとすれば、自分でサイトのイメージをつくり、どういったら理解してもらえるか、どう表現したらわかりやすいかなどを誰しも考えると思います。これが野中に幕を張るということです。このときも、画像にしても文章にしてもいろいろなテクニックや人を引き付けるような表現をするかもしれませんが、心の奥底にはやはり何か大切なものがないといけません。そういうことが分かったら武道の心も分かっていただけると思います。

 

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