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55) 柳生心眼流の免許体系47 一瞬一瞬立ち現れる
柳生心眼流もいろいろと流れがあるので他の流れのことは詳しくはわからないですが、私たちの流れは奥になるとだんだんシンプルになっていきます。
基本二十一箇条をみれば、こうして、次にこうして、その次にこうしてという段取りになっていることがわかります。しかしそれ以降になれば、だんだんに短くなっていきます。柔術しかり、武器術しかりです。前置きは無くなっていきます。何をいっているかというと、形がどのように長くとも短くても、その瞬間、その瞬間のやり取りの連続ということです。これを油断なく、厳しく実行していくということになります。これはとても禅的です。ですので基本二十一箇条の表でも、これは個々の技、身のかわしの連続ととらえています。そういう形に仮に構成されているだけです。ですから表と中極と落の内容を別の形に再構成することも、混ぜてとることも、いろいろ入れてとることも可能です。「敵取りの形」というもので戦うという方法をとりません。伝書でも柴を使って小屋を作り、解いてしまえばもとの柴になるという歌があります。
星国雄先生に「うちに相手にこうさせて、こうして、次にこうなってというような形はありますか」とお聞きしたことがあります。つまり、こちらから仕掛けたり、それを外されたので次はこうというような約束のある形がありますかという意味でお聞きしたのですが、先生は腕を組んでしばらく考えてから、「ない」とはっきりおっしゃいました。ここはとても重要です。
例えば礼儀剣のように一見組太刀の形 (かた) のようにみえるものもあります。始めて習ったときは形として習うわけですが、しかし心持ちは単なる形ではないのです。あらかじめ体と心に幕を張り、水月を写し、相手が形からはずれてどう攻撃してきても、その瞬間その瞬間に相手の心や体の動き (つまり機・はたらき) に従い動いていきます。こういう考え方は今、今と心が連続していく禅の「而今」と似ています。1つの動作が終わったときも心が切れてはいけません。心は連続していきます。
