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54) 柳生心眼流の免許体系46 秘するはしらせむがため その4
この日曜日 (4月5日) は西洋のイースター、つまり復活祭でした。(正教会は今年は4月12日) 。2月に四旬節が始まって、四旬節最後の1週間はキリストがエルサレムに入城した枝の主日 (Palm Sunday)、ユダが裏切った水曜日 (Spy Wednesday)、最後の晩餐のあった聖木曜日 (Holy Thursday, Maundy Thurday)、キリストが十字架にかけられた聖金曜日 (Holy Friday)、キリストの受難と死をしのぶ聖土曜日 (Holy Saturday)と続き、そこから古い教会では夜祈りをささげて(徹夜のところも)、日曜日の復活祭当日を迎えます。この伝統は2000年以上前の出来事を今も生き生きと伝えています。
私は仏教徒であり神社の氏子でもありますが、今年ほど復活祭を意識した年はなかったように思います。ウクライナだけでなく中東でも争いがおこりたくさんの方々が亡くなっている中での復活祭で、本当にたくさんの人たちが心の底から早く戦争が終わるように祈っているように感じました。
さて、今日のテーマに入ります。寛永14年 (1637年) に柳生十兵衛は江戸に上り、自分の修行研究の成果をとして一書を書き上げて父親の柳生宗矩に提出しました。 (史料 柳生新陰流 下巻 『昔飛衛といふ者あり』) その書を一覧した宗矩は「そのような戯言は火にくべて灰にしてしまえ。そうしたらお前を許そう (柴之閑言語一炬に灰となして後来たれ。汝をゆるさん)」と話しました。おそらく毅然として静かに話したのだと想像しています。この段階では十兵衛はまだ技や刀の兵法にとらわれています。十兵衛はショックを受けて退き沢庵和尚のところに行きます。そうすると沢庵和尚は「それはあなたに本当の意味での西江水の意味を理解してほしかったということなんですよ。さあ、西江水 (いままで経験してきたこと、教えてもらったことのすべて) を一口に吸い尽くしたらどうなりますか」と話し、十兵衛ははっと気づきました。(これは私の想像も入っています) 宗矩は別のところで「この心の置きかたを西江水とも神妙剣ともいう (史料 柳生新陰流 上巻 寛永10年『新陰流兵書』、此心の置所を是を西江水と秘し或いは神妙剣とも秘したる也)」といっています。
宗矩の導き方は馬祖と龐居士の西江水の問答に似ています。沢庵和尚の助言は臨済が黄檗の下で悟れず、大愚の助言で悟ることができた機縁にもなぜか似ています。昔はこういう指導がよくなされたのでしょう。十兵衛が加筆して改めて提出したところ、宗矩もそのことが分かったのでしょう。許して巻末に自らしたためています。これが十兵衛への印可許しです。その際に宗矩は「是れ車を牽き車を押す。只だ車の行くを欲するため也」と書いています。つまりその人に進んでほしいから前から引っ張ったり後ろから押したしたのだと。つまり改善すべきことを指摘したり、そのためにどうしたらいいか助言したり。みな「伝えんがため」です。
もうひとつここで分かるのは、正しい理解が伝わるためには師弟の努力だけでなく、助けてくれる様々な環境 (縁) によっていることです。十兵衛の指導に宗矩と沢庵がそれぞれ役割を果たしています。十兵衛に道を求める真摯なこころがあり、十分心が育っていたという側面も見逃せません。
小具足以上になる方には、このような指導者としての自覚についてお聞きしています。なってみたいだけで許すことではないです。伝えられる側から伝える側に、もてなされる立場からもてなす立場に、この転換は短期間ではできないことですが、覚悟をして進んでいっていただければなからずできるようになると思います。背伸びすることはありません。これもまた「秉心塞淵」。積み重ねです。どうしたら真伝が伝わるか。皆伝の技一本みせて済む話ではありません。
流祖の教えたことが末長く伝わっていくということは、流祖の努力だけでなく代々が常に努力していないとできないことです。現にここにその伝統が伝わっているということは代々の先師様たちがそのように努力し伝えてくださったということの確実な証拠でもあります。どの流派もそうだと思います。
「形をみせて受けついてもらえばいい」「写真やビデオにとればそれで真似してくれるだろう」という方法もあります。それがやむを得ない場合もあるとは思いますが、できるなら時間をかけて少しずつ確かめつつ綿密詳細に伝えていくことが望ましいと考えています。
