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18) 柳生心眼流の免許体系10 心のコントロール
小具足では甲冑時代よりもっと精妙に運んでいくことを工夫します。技も状況次第。その場にふさわしい技にならなければならないです。ここらへんになると教えるというよりは自分なりの答えを出していただき、師匠が点検することになります。もちろんヒントは出したうえです。
このくらいになるとその人の深いところの心、とくに欲望が頭をもたげ始めます。いろいろな出方をします。私も何人もそういう方を見てきましたし、彦十郎先生の時代のお話もいろいろお聞きしました。まさに自我との勝負。10年前後でそういうことがおこることが多いように思います。習い始めて10年くらいのところは本人にとっても区切りの時期だし、迷いも多いのだと思います。
人の言葉を口パクしても許しません。わかっているようなふりをしても声に出して自分の言葉で答えなければ、またその身で実行しなければ合格点は出せません。その人の心の奥底からでる言葉、行動が今まで学んできた流儀の心技に一致しているのかが大切です。別の言葉では心法と刀法の一致、心刀一致です。ここになると禅について学んだり、古い時代の武道家の著書、うちなら柳生石州斎や柳生宗矩の伝書や逸話を学ぶべきです。
師匠の印鑑偽造や伝系の詐称は問題外ですが、俺が俺がもダメ。表では活人剣といいながら心の奥で別のことを望んでいるのもダメ。わからないのにわかっているふりをして話すのもダメ。多数派工作をしてもダメ。外見はへりくだっていて実は内には計算ずくもダメ。師匠の後ろに隠れるのもダメ。親子兄弟だからという甘えもダメ。自分はしないで人にさせるダメです。そういうのって武道家ですからお互い見たり話していればわかりますよね。
自分もあったように思います。先生ともけんかもしました。「もうやめます」と言いました。ですが先生は家族に「あいつは戻ってくる」と言っていたそうです。なぜ戻ろうと思ったのかわからないのですが、やはりこの武道が自分にとって必要不可欠だったのだと思います。自分の求めるものがそこにある。先生も何も言わないでいつものように迎えてくださいました。