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20) 柳生心眼流の免許体系12 師弟の信頼関係は大切
小具足はかなり難関です。歴代もここをどう進ませるか相当苦心があったようです。しかし、やはりこれはしょうがないのだと私も理解しています。私も進んでほしいのですが、手加減があると後世に悪い影響が出るので腹をくくってだめなものはだめと言っています。自分ができているかといわれれば不十分だとは思うのですが、そうなるよう努めながら役目としては評価役をしています。
古武道の世界は教わるものさえ教われば師匠を殺してでも自分が一番になりたいというということが起こり得ました。別のたとえで言えば親の財産管理の権限を渡されたとたんに親を粗末にする子供。今でも結構そういう方はいらっしゃいます。流儀内でもそんなことをたくさん見てきました。驚いたことにごく最近もありました。それがこのブログを始めるきっかけになりました。
でもそういうものだということはわかっているので、簡単にひっくり返されないように対策を講じています。星先生も「弟子に裏をとられるような教え方はしておかないんだ」とおっしゃっていました。
こういうことは「流儀の秘密」として口伝されます。たとえば甲冑や小具足も実は段階があります。こういうことは上の師範ならわかっています。誰にどくらい教えてあるか、どこに本伝の武器術が行っているか、技は教えても伝書は授与していないとか。こういうことは師範同士で情報をやり取りしていますので、流儀内でどのくらい誰が知っているのかはおのずとわかっています。それどころか、その方の動きを見れば柳生心眼流の場合は、だいたいどのくらいというのもわかってしまいます。その伝授を教わっていないから、その伝授を理解した身の動きになっていないのでわかってしまうのです。
これは、師範がどの団体に属しているとかいうものではなく、純粋に柳生心眼流という流儀としてのことです。
一般の社会でもこの人は教わるものさえ教わったら、ひっくり返すだろうなと感じる人に、そうそう大切なことを教える人はいないと思います。そうなんです。普通それが当たり前。だからそういう人がよい技や本式の伝授を教えてもらっているはががないということになります。
師弟は信頼関係で結ばれていないとだめなんです。そのうえで師匠も力の限り教え、弟子も師匠に全身でぶつかっていく。そして本当の心技が伝わっていきます。先生と喧嘩しますが、でも目指す方向は一緒です。よいものを伝えていくためには師弟お互いが信頼して努力しないと伝わらないのです。決して師匠も自分がえらくなりたいとかそういうことではないのです。