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22) 柳生心眼流の免許体系14 秉心塞淵
小具足が難関ということに関連しますが、いろいろと見てきて入門から10年くらいで問題がおこることが多いです。私もそうでしたし他の方を見ていてもそうでした。習い始めて10年は誰にとっても長い時間です。そのあたりで我慢していたり疑問に思っていたことが噴出する。これはわかります。ただ実はここがいちばん大切なところ。実は自分との勝負。これははっきり伝書にも自分に勝てと書いてあります。エゴが立つと通り抜けられなくなる。素直に努力して積み重ねる。皆の中での自分の位置をしっかり把握して、全体が良い方向に向かいよう自分なりに進む。師匠がどうこうではないです。自分がどうあるか。
江戸柳生から出た流派の伝書を読むと、心法のことがかなり深く掘り下げられています。武道修業は自分の心を顧みてコントロールすることがとても重要なようです。
ありがたいことに桃生の師弟合祀古碑には仙台藩の儒学者であった新井義路によって、流祖の言葉がたくさん書き残されています。父が耕せば子が種をまくように互いに協力すること (厥父菑子乃播)、仕事をしっかりしたうえで武道を学ぶこと (三時努農一時講武)、小欲であるべきこと (小不加大)、下剋上をしてはならないこと (賎不陵貴)、などが書いてあります。「礼は敬をもってす」(礼以敬) というのは礼の根本が相手へのリスペクトであること。これは礼記の言葉です。流祖は「皆重く敬して礼に中 (あた)れ」ともおっしゃっています。「心を秉 (と) りて淵を塞ぐ」(秉心塞淵)とは実直に積み重ねていくこと。これは詩経の言葉です。少しずつの水でも続けることによって徐々にたまっていって、ついには大きな淵になります。義路は四書五経や古い典籍の言葉を依用しているので流祖の言葉そのものか確定できないのですが、このような記述によって流祖がこの流派を学ぶ人に何を求めていたかを伺うことができます。師弟合祀碑の発起人である遠藤春良はこのような流祖の言葉を石に刻んで残すことで、後世の学人がこれを見て自ら励まし、流祖の願いに自分が適っているかどうかをいつも自分に問い続けてほしいと願ったとのことです。(後身観此自激励念不殞厥問)
奇しくも流祖の眠る桃生の林昌院の本堂には「功徳海中一滴も譲る可からず。善根山上に一塵も亦積むべきか。」(あふれるほどの福徳の海の中にあってもさらに1滴を加えることを躊躇してはならない。よいことは山ほど積んでもさらにもう1つ積むべきです) という句が掲げられています。これは道元禅師のお言葉です。そのように日々行い続けること (日々の行持) が大切なことを禅師もおっしゃっています。