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25) 柳生心眼流の免許体系17 星国雄先生の知識は他の師範を圧倒
私が始めたころに、仙台柳心会に師範代としてたくさんの師範がいらしていました。ある師範が、私に「自分は全部知っているし星さんに教えてもらうものは一つもない。本当のことが知りたいなら俺の弟子になれ。」といっていた方がいらっしゃいました。こういう方、結構いらっしゃいます。人の門人に声をかけて自分の方に誘導する。
そういう方について行った方々もいたのですが、私はついていきませんでした。星国雄先生以外に宗家などありえなかったからです。なぜ他の方がついて行ったのか不思議です。島津兼治先生もずっと星先生についていましたので「星先生以外に宗家なんかいるわけないよ」とおっしゃっていました。そのくらい柳生心眼流の知識が膨大で他の師範を圧倒していました。そういうことってわからないのかなと思います。私はわかりましたが。背景を知っていて話さないのと、知らないから出てこないとか、作った話をするのとはある程度お付き合いしていればわかりますよね。
私がついたのが先生74歳だったのでいつ亡くなるかわからないし、そうだからこそこの一代の名人の先生について教えをいただけば、人生にといって有意義なものになるだろうという思いがありました。
ですのであのころは数年も先生につければという気持ちでした。自分が柳生心眼流を続けると思っていなかったですし、皆伝など思いもよらなかったです。でもありがたいことに18年も師事することができました。そのおかげで膨大な技や教えをいただきましたし、心法の部分をまとめた『拳心斎先生口述聞書』の上中下3巻だけでも相当の量になります。最後まで星裕文総本部長に相伝をと申し上げていたので、なぜ自分に思うところもあるのですが、任された以上は報恩行としてできるだけのことをする覚悟でしています。
星彦十郎先生は星国雄先生に相伝するときに、どの師範にどのくらい教えているかは口伝していますので、どの流れにどのくらいの技がいっているということは口伝で残っています。従いましてそれ以外の技でその流れで新たに作ったものは〇〇師範が新たに形を作ったとはっきり表明していただいた方がいいと思います。門人を育てたいという目的で必要があって形を作るのですし、それはとても尊いものだと思います。武道も時代とともに必要なものが変わってくるので、私も必要によっては新しい形を作るかもしれません。理由を説明できればいいのだと思います。ただ、それを江戸時代の昔からと言われるとわからない方を迷わせることになります。
