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31) 柳生心眼流の免許体系23 決心するのに10年かかった
10月25日 (土) は拝島大師で大塚篤先生の主催する天然理心流の「第11回奉納演武」に特別演武として参加させていただきました。大塚先生があいさつでおっしゃっていらしたのは「武道は人格形成の道であるとともに、これからはますます武道に哲学が必要となってくる」ということでした。それがなければ単なる殺し合いになってしまうからです。直会でも先生が若いころ入門してからずっと考え探求してこられた天然理心の心をお話しくださいました。私のように師範となり一見「出来上がった」ように見える人間に、こういうお話を話してくださる先生はなかなかいらっしゃらないです。本当にありがたいことだと思いながら帰ってまいりました。
今日は私が武道の修行中に巡り合った先生方についてお話します。高校生の時は実家の前で松田隆智先生の書かれた本をめくり中国拳法を自主稽古していました。昭和60年に仙台に転居して、全日本中国拳法仙台支部で只野正孝先生に主に中国拳法・大和道を教えていただきました。ここで初めて柳生心眼流の基本二十一箇条を教わり「すごいな」と感動しました。休み期間に帰京すると東京では佐藤金兵衛に教えていただきましたし、当時臼井真琴先生、高橋先生にも教えていただいたことがありました。佐藤金兵衛先生は大学の先輩でもありましたので、先生も武道以外の事もお話しくださいました。中国拳法は形意拳、太極拳、八卦掌などたくさんの流派があって、それらを併修する形になっていました。しかし自分にはたくさんの流派を習得するというのは難しいとわかり、大学4年の春に柳生心眼流一本にすることに決めて仙台柳心会に入りました。最初に師範代としていらしていた千葉昇先生が指導してくださいました。当時は月に1回程度、星国雄先生がおみえになり、そのほか、南方から星憲明先生、小野寺肇先生、佐藤清光先生、佐藤永一先生など多くの先生が代稽古をつけてくださいました。星国雄先生の一番弟子である佐藤輝男先生も花泉でお世話になりましたし、島津兼治先生も年何回かいらしていました。(このころのことは別に詳しく書いていきたいと思います)
初めは先輩方に教わりながらしばらくは同期と一緒に稽古していましたが、あることがあって、私は月1回程度一関に行って星国雄先生に直接指導いただくことにしました。このころ島津兼治先生のご縁で影山流居合を羽川安穂先生に2年間ほど教えていただきました。羽川先生は刀剣の装具を作成する白銀師でもあったため、武具についてもいろいろなことを教えていただきました。2年したところで「君は柳生心眼流をした方がいい」と諭され、以後は本当の意味で柳生心眼流のみとなりました。平成3年に大学を卒業して医師となり、一関で初期研修をしていましたがはじめの1年間は星先生はお話のみでした。2年目は「そろそろ稽古をしようか」といって、いろいろなところを借りて稽古をつけてくださいました。平成5年春に仙台に戻り、すぐには復帰できなかったのですが平成7年春に仙台柳心会に復帰しました。そこではいろいろなことが起こっていて驚いたのですが、こうしたことをきっかけに「自分は何があっても星国雄先生について行こう」と決心をしたのでした。大学院を卒業して平成10年に一関に戻り、以後は総本部総務として先生を支えながら先生が平成18年に亡くなるまで師事しました。18年ほどの期間先生に教えていただいたことになります。
このように私自身もこれだけいろいろな先生方にご恩をいただきながら経験をさせていだき、一師に就くことを決意したのは武道を初めて10年以上たってからでした。武道をこれから始める若い方は、必ずしも一流派と決めなくてもいいと思っています。最初はいろいろと習ってみていいし、最終的に自分がどの流儀を進んでいきたいのかもその方の自由です。もちろん併修するなら両方の先生方の許可を得る必要がありますし、武道では礼節はとても大切です。また、はじめから柳生心眼流ひとつで行くという方もいらっしゃると思います。これはご縁ですし、その方にあった武道が見つかるといいと思っています。
道元禅師は「一句の恩なお報謝すべし。一法の恩なお報謝すべし」とおっしゃっています。自流の先生、同門の方々、他流の先生方からも一言、一手も教えていただけば、ご恩を大事に思うべきです。それだけでなく、生涯に出会う武道家の方々、師範の先生方から、それだけでなく一般の方々から、目の前のありとあらゆることからも、自分が教わる身となり、謙虚に心を澄まして「聞く」「見る」「感じる」心を保つことができれば教えをいただけるようになります。そうなると武道は生き方になります。武道の心をもってどう生きていくか、つまり「兵法は生きること」になります。
