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2025-12-09 22:33:00

37) 柳生心眼流の免許体系29 「出た技は皆本当の技」の落とし穴 1

前回「出た技はみな本当の技」という話をしましたが、これにも落とし穴があります。今日はこのことについて考察していきましょう。

前回お話しした通り、状況によって変化し出てきた技はそのときのまさに「一手」であり、勝負を決める本当の技です。これは長年の鍛錬の結果としてその瞬間に現れるものです。その人にして思わずして現れた「盗まれぬことのない技」です。そして、それはそのとき一瞬だけ出て、あとは跡形もなく消えてしまいます。これがこの言葉の本来の意味です。しかし、この言葉は間違って意味で受けとられてしまう危険性があるのです。ここでは2つの問題点を指摘したいと思います。

1つは「自分の好きなように変えていい」という誤解、1つは「何も努力しなくていい」という誤解です。今回は前者を解説します。

よくあるのは先生の形をしっかり真似できていないにもかかわらず、直そうとしないことです。これは、いったん習得できたあとに変わってしまうこともあります。こうしてある方のくせが後輩たちに受け継がれてしまうのです。ある程度たって上達してくると、今度は深意が十分理解できていないのに、こうした方がいい、こうした方が恰好がよいと自分の考えで形を変えてしまうこともよくみられます。これも、意味をよく考えて変えたのであればようのですが、多くの場合は不理解から生じたものです。こうして多くの形くずれが発生します。そして、それでいいんだということになります。

本当の稽古鍛錬とはそのような懈怠や慢心から離れて、自分に間違いがないかいつも薄氷を踏むがごとくに注意して点検しながら進んでいくことです。柳生石舟斎の歌では「兵法はふかき淵瀬のうす氷 わたる心の習いなりけり」と示されています。これは心の隙、懈怠がないことですし、「よきのふと思ふ心のおろかゆへ 兵法くらゐのあらそひぞする」と慢心してはいけないことを示しています。

古人の工夫というのはすばらしいものがあります。戦場で生き残るために古人によって工夫された珠玉の知恵です。私はとてもではないですが、そんな技を考えられるような素質はもっておりません。教えていただいたからこそできるようになりました。数学で四則演算くらいは考えついても、微分だ積分だ、無理数だ虚数だ、正規分布だなどというのは、学校で習わないと自分で思いつくことは非常にまれでしょう。もし思いつけたら私は天才。でも、こういう計算方法を知らなければ今の科学技術はありません。こうした技術をならうことにより、統計でも判断の間違いを20回に1度未満にするようなほどに精度を高めることができます。工学でも理学でも自然科学でも、いろいろな知識がもとになって、技術が開発されます。これからもずっと開発されていくでしょう。とても一人の工夫で渡れる世界ではありません。だから習うことが回り道に見えて近道なのです。石舟斎の歌にも「世にふしぎ奇妙おほきぞよくならへ ならふて恥にならぬへいほう」とあります。はずかしいと思わずどんどん質問して、よく説明を聞いて、正しい技を身に着けることが大切です。