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41) 柳生心眼流の免許体系33 知恵とやさしさをめぐらす
令和8年になりました。「日々新た、日々に新た」という言葉のとおり、一年中いつでも日々新たな出会いであるわけですが、新年というのはことに清々しくよろこばしさを感じます。一方で物価高や気候変動、争いごとなどめまぐるしく変化していく世の中で私たちは自分の思いとは別に厳しい現実に出会い、ときに不安を覚え、ときに葛藤し、そして苦悩します。きっと江戸時代も明治以降も、世の中はそういうものなのでしょう。そのときにどう生きるかによって自分にしか歩めない大切な自分の道が生まれてくるのだと思います。どんなときも本当に自分がしたいもの、求めているものは何なのかの答えを全身全霊で考え自分で答えを出していきます。これが兵法の道。
宗矩の『新陰流兵法書』(『改定史料 柳生新陰流 上巻』 今村嘉雄 1995年 339頁) に無刀とは「了簡つきたる時、一命をのべんための用也」とあります。了簡つきたと思ってもさらに進めというのです。私たちの流儀での大きな意味での無刀はここでいう無刀の延長線上にあります。つまり生きること。星国雄先生も命にかかわるような大変なことに何度も遭遇してきましたが、そのたび一瞬の機転により命を救われてきました。「思わずして生きる方向に動く」というものです。
外が暗いほど部屋のライトは明るく、寒さが厳しければいよいよ室内のあたたかさが身にしみるように、そういうときにこそ知恵とやさしさの重要性が増すと予想しています。何事にも解決策を見出す知恵をみがき、やさしさを持って、いつも「常の心」で慎重に歩んでいければと思っております。上記の『新陰流兵法書』には「一心ただしき人にならずば兵法に成る間敷き所作なり」とあります。当流では「人の無刀取」。流祖がいかに宗矩の教えを忠実に守って伝えたかがわかります。
同書で宗矩は「至りては此の一心をおつぱなして自由自在を働くなり。一心をあきらめずば成り難き道なり」とも言っています。覚悟ができた上は「心をおっぱなして」(迷わず) 働く。これが不動心。ゆるむな。そこまではとてもできないですが、少しでも近づけるよう今年も精進してまいりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
