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2026-01-19 21:45:00

43) 柳生心眼流の免許体系35  聞くことから始まる

先週は稽古始めでした。道場に見学の方がいらしていろいろとお話をさせていただきました。ありがとうございましす。私たちの武道の動きや考え方を知っていただき、流儀についての正確な情報を発信することは武道をしているものとしての社会貢献のひとつと思っております。「こういう武道があるんだ」ということを知っていただき、なにか一つでも有益なことを持ち帰っていただければと思っております。文字やネットの情報はまだまだ限られています。古武道の世界はネットに上がっていない情報の方が多い世界です。百聞は一見に如かずというところがあります。入門するしないとは別に、ちょっと見てみたい、また武道をしているしていないにも関わらず文化として興味があるかたでも、興味がある方はどんどんいらしていただければと思います。

 

さて、免許体系といいながらいろいろとわけのわからない話が続いています。武道を始めたばかりの方には言っていることの意味もわからないかもしれないです。

今話していることはある程度武道を経験した方、うちの流派でいえば甲冑以上くらいの方向けです。武道というのは初めはやはり実際に来て見て体を動かした方がわかります。

ある程度その動きが分かってくると、アドバイスしただけでも動けるようになってきますこれが口伝として伝わっています。併せてその動きを統括する心や考え方も言葉で伝えます

実はこういう話をたくさん先生から伝えていだくのです。うちはこういう伝え方をします。「小具足皆伝は口伝が多い」といいます。

もしおつきあいいただけるのであれば初心の方でいまはわからなくても、聞いているうちにだんだんわかってきますので、読み進めていただければと思います。

私が入門したのは星国雄宗家の74歳のときでした。先生も急がれたのでしょう。覚えの悪い、覚えてもすぐ忘れてしまう出来の悪い弟子に、教えたいと思うことを力の限り教えてくださった感があります。それでも先生のご存命のときには先生の真意が理解できなかったことがたくさんありました。何回も教えていただいていたのに失念していたり、自分が別の技と思い違いをして記録をしていることにずいぶんたってから気づいたこともあります。私のノートには「何のこっちゃ」と記しているところもあります。

こういうのは禅の世界に似て居ます。中学校から茶道をしていたので禅語はたくさん知っていました。しかしなんせ受験勉強の延長で理解しただけなので、それは知識上での理解であって、自分の腑に落ちたものではありませんでした。柳生心眼流を稽古するようになって星国雄先生がゆっくり心の育ち具合をみながら伝えていく方法 (禅では『啐啄同時 (そったくどうじ)』といいます。その都度その弟子が必要としているものを教えていくことです) をとってくださいました。それによって禅語も時間をかけて理解していくのだということがわかりました。同じ言葉も経験を積むことでだんだんに深く意味を味わうことができます。

初めの参禅の師で一関にある西光寺の佐藤太彦老師は「絵に書いたぼた餅の味はわからない」とおっしゃいました。禅は坐禅して実際に体験しないとわからない世界です。だからまず指導を受けてすぐ坐禅から始まります。それと同時に、坐禅の後にお茶を飲みながらいろいろなことを方丈様にお話ししていただきました。先輩からは「一寸坐ると一寸の仏」と言われました。ちょっとお釈迦様のまね。そこからスタート。あとはいろいろな書籍や禅師様方の語録などを参照したり、講義 (提唱) に参加したりします。だんだんにわかっていきます。

お経や仏教の本は膨大で仏様のお悟りなど私にはとても分からないです、しかし私なりに仏教を学ぶということ言い表すと「お釈迦様のおっかけをすること」と思っています。お釈迦様は縁起を理法 (空とか無我ともいいます) をさとり、その智慧によって生きとし生けるものを苦しみから救うことに一生をささげました。それの事績を学びながら同じ方向を向いてお釈迦様の背中を追っていく。そんなふうに思っています。不束者の私なのですが及ばずながら諸先輩方の後を追ってと思っています。

さて、仏教では「聞・思・修」ということを言います。まず教えを聞き、考え、実践するという流れです。聞いただけではどんなこともそんなに簡単にできることではないし、日々修練を積み重ねを続けていきくことが大切と言われています。これは武道でも同じだと思います。まず先生や先輩から技を教わって ()、そして自分なりによく考え ()、繰り返し稽古してできるようにする ()。初めは聞く。「聞く」ということが大切です。