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2026-02-16 21:23:00

47) 柳生心眼流の免許体系38 技はそれでいいが心が悪い

これは星国雄先生から伺ったことです。相伝稽古を終えた時に、星彦十郎先生が星国雄先生に「技はそれでいい。だが心が悪い。だからお前は相伝許されたことを10年間黙っていろ」と言われたそうです。私は「自分から教えられただけで十分理解もできていないうちに軽々しく物をいうな」ということを教えたのだと思っています。先輩たちの面目をつぶさないためという配慮もあったと思います。先生はこの言葉を守って10年相伝を許されたことを黙っていました。うちにはこういう伝統があります。

相沢東軒は京都の人でしたが、おそらく江戸で医学の勉強をしている間に小山左門に出会い東北までついて行きました。いかに小山左門がすばらしい先生だったかと思います。小山左門はしかし簡単には許しませんでした。皆伝も少しずつ慎重に教え、3段階に分けて (つまり3) 許したと伝えられています。3度目が相伝です。このくらい慎重でした。相沢東軒も小山左門の唯授一人でしたが当時は桃生に大先生方がいらしたので、桃生には入らず佐沼に居をおいたとのことです。桃生の『師弟合祀碑』には当時小山左門は在世でしたが名前は見えませんし、相沢東軒の名前もありません。でもその流れは今日まで続いているのです。

星清右衛門は叔父の星貞吉をさしおいて加藤権蔵から相伝を伝えられましたが、そのことをほとんど他に話すことなくずっと貞吉の師範代を続けました。ですので星貞吉が相伝者でないことは知らない人が多いと思います。私達一関総本部所属の者もかなりあとになってから星国雄先生から聞かされて大変驚いたことを覚えています。

これはなにも唯授一人、一子相伝という立場でなくても同じです。皆伝を受けたならこの必ずこの期間をとる必要があります。今は情報が速いので、誰がどの免許ということはわかるし、また誤情報を防ぐために話さざるを得ない状況ではありますが、それでもじっくり時間をとって自分の考え方を考え整理する修行は必要です。

皆伝を受けて、自分はどうするのか、どうしたらいいのか。ここまで来たら「自分が」ではありません。「皆が」を考えることです。これは自分を押し殺すということではないです。自分は皆の一部です。皆と自分はいつも一緒です。皆は自分の一部でもあります。

そう思えればどうしたらいいか、自分に何ができるかを考えていくことができるようになります。星国雄先生は「我も人、彼も人」とおっしゃっていました。同じ喜怒哀楽の身と心をもつ人。人により考えは様々だと思います。あなたはどうするのか。それを神仏が見ています。少しずつ考えながら、少しずつ積み重ねていくのは皆伝を受ける前も受けた後もかわることはありません。でも考え続けていると結局みな同じようなことを考えていたりするのです。星国雄先生は相伝を受けてから、自分でどうしたらいいかわからず、終戦直後の永平寺にいって草取りの作務をしながらいろいろと考えたそうです。永平寺も終戦の混乱期でほんの一瞬、草ぼうぼうの時があったそうです。

佐藤輝男先生は星国雄先生の一番弟子であり、皆伝者の筆頭でしたが自分を出すことなく常に「星先生、星先生」と師匠を立てていらっしゃいました。問われなければご自身から話すということはあまりありませんでした。南方の皆伝の先生方も三者三様で佐藤永一先生のように表に立って様々な活動をした先生もいらっしゃいますし、小野寺肇先生や佐藤清光先生のように一歩引いて、でもいつも星国雄先生を支えてくださった先生方もいらっしゃいます。星憲明先生は佐藤永一先生から皆伝を許されましたが、ずっと師である永一先生やもともとの師である星国雄先生を立て支えていらっしゃいました。