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2026-02-23 23:55:00

48) 柳生心眼流の免許体系40  三年父の道を改むるなき

禅宗では師匠から認められて嗣法しても、さらに修行を重ねるのだそうです。このことを「聖胎長養」といいます。大徳寺を開いた宗峰妙超禅師 (大燈国師) は師である南浦紹明 (大応国師) から頂いた公安を透過して印可を得て嗣法しますが、その後師の指示により20年乞食行を続けました。花園天皇は禅師を召し出そうと勅命を発しますが、五条橋のたもとで役人が禅師を探しますが見つかりません。禅師は瓜が好きということで、役人は一計を案じ、瓜を置いて「脚無くして来たれ」と言わせたそうです。そうすると、乞食の一人が「手無くして渡せ」と応じたので、禅師とわかったというのです。亡くなる前に遺偈で「截断仏祖 吹毛常磨 機輪転処 虚空咬牙」という言葉を遺されています。

そのお弟子で妙心寺の開いた関山慧玄禅師も、師である大燈国師から印可をいただいた後に9年間隠棲しました。「関山が這裡に生死なし」ということばを発した方です。亡くなる時に旅に出る格好をして庭に出て、お弟子に遺誡して立ったまま息を引きとりました。これを立亡といいます。ともに臨済禅の厳しい宗風を示すとともに、いかに修行を続けていくことが大切かということも受け取ることができると思います。この流れは厳格な宗風で「応燈関」と言われています。今日本にある臨済宗はみなその流れです。柳生宗矩に禅を説いた沢庵和尚も大燈国師の流れに属します。

曹洞宗でも『宝鏡三昧』に「潜行密用は愚のごとく魯の如し。ただ相続するを主中の主と名づく」という言葉があります。外には見えないようにしながら、でも修行を続けていくことの大切さを説いています。

『論語』には「三年父の道を改むる無きは孝と謂うべし」(三年無改於父之道可謂孝矣 学而第一) とあります。昔から先代の方法を急に変えないという伝統があったようです。

先生が亡くなった翌年に星裕文総本部長と一緒に厳島神社の奉納演武に行ったときに、楊心流薙刀術の小山宜子先生から「あなたたちの先輩方の立場があるから、代を継いでも3年は今のやり方を変えてはいけない」とアドバイスをいただきました。論語の言葉を思い出し大変ありがたかったです。

 私も流儀内では自分が星国雄先生の唯授一人であることは話していましたし、一関総本部や各支部ではわかっているのですが、他流の方にはあまり公にはしていませんでした。古武道振興会の先生方の前で公然とお話ししたのは先生が亡くなってから8年後でした。柳生耕一先生からは「まず基礎体力を養うのがいいでしょう」とアドバイスをいただき門人の方々を育てるために心血を注いできました。

島津先生が亡くなりインターネット環境も大きく変わり不確かな情報が入り乱れると、流儀もなにやら別の方向に行きかねない状況にあって、やはり流儀のことについては言わなければならないという思いに至りました。どなたか言っていただければそれでいいのですが。星国雄先生や星家の伝についてしっかり正しいところを言っていただけるなら私は安心して何も言いません。もともそのように先生に申し上げていました。「私は埼玉に帰っておとなしくしています」と。でもそうはいかないようです。いろいろな考え方があることは承知しておりますが、師伝としていただいた考え方、立場をもとにこの流儀について歴史史料も参照して情報発信しています。伝書で言えば「先師の流論をもってまさに相究むべく候」ということを実践しているということです。