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2026-03-02 22:46:00

49) 柳生心眼流の免許体系41  秘するはしらせむがため その1

星国雄先生も「自分の流派では秘伝のものだったものが、他流ではそうでなかったり、順番が逆だったりする。つまり同じような技をみな持っているが、教える順番が違う」とおっしゃっていました。これはとても大切な教えです。同じ内容でもどう教えたらいいかという先師様方の腐心がそれぞれの流派のカリキュラムになっているということです。

柳生宗矩は『兵法家伝書』で「この三巻にしるすは家を出でざる書也。しかあれど、道は秘するにあらず。秘するはしらせむが為也。しらせざれば書なきに同じ。子孫よくこれを思へ」と言っています。秘することにより、つまり段階をつけることによって人はさらに奥に進もうと思うし、自分を奮い立たせることができます。秘伝とはそういうものです。伝えるため、教えるために段階を設けているのです。当然、必要な水準に届かない方には伝えません。武道だけでなく世の中の資格試験もそのようになっています。

仏教でも人を悟りに向かわせるためにいろいろな手段を作ります。これは仏様に「一切衆生に幸せになってほしい」という願いがあるからです。これを善巧方便とか、施設と仮設とかいいます。八万四千の法門というくらいろいろな方法や道があるといわれています。実際にはその人ごとにあるといってもいいので、これでは済まないことになります。「分け登るふもとの道は多けれど、同じ雲井の月を見るかな」というのはもともとはこのことを言っています。それどころか、万法、自然、ありとあらゆる存在、あらゆる機会を通して仏様が法を説いているという見方にもなっていきます。

兵法では策 (はかりごと)ともいいます。柳生宗矩は「運籌帷幄中 (はかりごとを帷幄中にめぐらす)」といっています。確かにいろいろなはかりごとをめぐらすのですが、目的は「負けぬ術を存じ居る」ということですし、もっと根本には自分も他人も安心して生きていけるようにするということが最終的な目標になります。徳川家康の旗印は「厭離穢土、欣求浄土」で、それは地上に浄土のような幸せな世界を作る、そのために自ら苦難の中で腐心するという意味であったことは皆さんもご存じのことと思います。自分のために嘘をいって相手をだまし打ち負かし、すべてを取り上げることではありません。自分ができることは限られているのですが、自分もその一端の責任を負うことが求められます。

このことはうちでは「野中幕」というところで示されていいます。幕とは仮に作るもの、現すものという意味です。これはもちろん武術的な意味合いもあり、荒っぽいことが行われた時代には星国雄先生も実際これを使って窮地を逃れたりしています。しかしこれはまた生き方でもあります。

現代の情報化社会でもわたしたちはいろいろなフェイク情報や危ない情報に遭いながら、それをかわして自分にとって意味のある情報をつかみとることを無意識にしていると思います。まずはかわす。スルーする。適切な安全な場所に自分を置く。つねに見張って有意な情報を見定める。これは武道の考え方と同じです。そして、さらに世の中に自分からアプローチしてさまざまな情報発信をしようとすれば、自分でサイトのイメージをつくり、どういったら理解してもらえるか、どう表現したらわかりやすいかなどを誰しも考えると思います。これが野中に幕を張るということです。このときも、画像にしても文章にしてもいろいろなテクニックや人を引き付けるような表現をするかもしれませんが、心の奥底にはやはり何か大切なものがないといけません。そういうことが分かったら武道の心も分かっていただけると思います。