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52) 柳生心眼流の免許体系44 刀の形
先週は外から講師の先生をお招きして試し切り会をしました。昨年は1回でしたが好評だったので今年は2回の予定です。うまく斬らないと刀も曲がってしまうので、何回も先生には直していただきました。皆さん喜んでくださったのでなるべく続けていきたいと考えています。
星国雄先生は「木刀で十分だ」とおっしゃっていました。それは先生が幼いころにも自宅に何振も刀があって裏の竹やぶにいっては試し切りしていた経験があり、若いころに刀匠に弟子入りして刃の焼き付けができるほどに刀のことがわかっていたためのお言葉です。
うちの流儀は左太刀に持ち替えがあるのですが、真剣では気を付けないと持ちかえのときに手を斬ってしまうことがあります。実際、私も掌を切ってしまったことがあります。木刀と真剣では重心も重さも違います。すこしでも刃に触れれば切れます。ですので古流を学ばれている方は絶対に刀の刃のある間には入りません。怖くて入れないです。切先の届かないところまで引く (抜くといいます) か、柄や腕の位置まで入るか (入身といいます)。入る場合も切り返されないように身を防ぎながら入っていきます。こういうのは「十字神妙剣」「大体の神妙剣」という教えに入っていますし、目録あたりでしっかりと稽古する内容です。
刀は時代によって形 (姿とか体配といいます) が違います。その時代だけの一時の流行もあります。両手で持ってつかう鎌倉時代以来の太刀、それよりやや短い打刀 (うちかたな)、そして室町時代に出てきた技法である片手打ちに使う刀など。太さや反りにいろいろと特徴があります。純然たる戦争用の武器として制作したのは桃山時代までで、江戸時代になると平和な時代もあって美術的な美しさが際立っていきます。そして幕末になるとまた実戦を意識した姿になっていきます。
私は流祖の時代、つまり安土桃山時代や江戸初期までの刀 (末古刀) に興味があって、そういう刀があるとつい見てしまいます。流祖が使用していた刀はこのような刀ですので、その時代に思いを馳せてしまいます。注文打ちで作られる美しい刀もよいですが、そのころは「何日までに1000振納入せよ」などという時代ですから、数打ちといって何本も同じ規格で少し粗製でも沢山作っていきます。うちの流儀の技はこういう刀が使いやすいようにできているのが実感としてわかります。
厳密に流儀の形の刀というのはないのですが、およそこういうものというのは示されています。太刀としてはしのぎの高いものが好まれていて、東北で古くからこういう形があります。また奈良の大和伝から派生した系統は鎬が高いですし、仙台国包なども大和伝の名手なので、こういうところから言われているのかもしれません。打ち刀 (うちでは中刀といいます) は2尺2寸5分が一応の定寸です。鎧通は厚身平造りの世にいう鎧通とは違う形です。こういった刀の歴史は武道の歴史とも共通する部分が多いですし、流祖の時代を知る上にも大切なので、門人の方には勉強することをお勧めしています。
ただ、流儀では「あるものを使う」ということが原則です。何でなければ使えないなどとは言っていられません。身の回りにあるものはすべて使って身を守るのですから。
