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60) 柳生心眼流の免許体系52 妄心
過日坐禅会に行ったとこのことです。私はいつも坐蒲 (おしりの下に置くクッション) はなるべく大きなものを選んで、座布団も使うようにしています。座布団は使わない方や椅子を使う方もいて、座り方はさまざまです。初めての経験だったのですが坐蒲に坐ったとたんに両脚が痛くなって驚きました。そういえば最近ストレッチをさぼっていました。こんなことで体が硬くなっているんだと気づいて、少し体を大きく揺らしてストレッチをしたら痛みがだんだんとれてきました。坐禅するときに股関節や膝関節の柔らかさが大切なんだということに気づきました。若いときと違ってさぼれば衰えがすぐ出る体。注意しなくては。
沢庵和尚からたくさん禅の教示を受けて、これを武道に照らすとどうなるか。こういうことを一生懸命に考えていったのが柳生宗矩です。『兵法家伝書』や宗矩の伝書を見る限り宗矩は仏教の教えを引用しますが、兵法に応用するとどういうことがいえるかという立場で書いていて、両者を明確に区別していたと考えられます。伝書で伺う限り流祖も仏教や儒教の言葉をそのままに使うということは少数の例を除いては避けていたように考えられます。二代の兵法書も深く読み込まないと禅的なものは見出せません。しかし、それこそが実は言葉にとらわれないという禅的なものです。私たちの流れにおいて武道と仏教を混同することは避けた方がよいと考えています。仏様のお悟りと兵法者の武道のさとり (覚悟) が同じとはとても言えないし、場合によっては危険ですらあります。私もあくまで仏教の教えをいただいたうえでの、兵法としての理解を書いています。仏法という全体の中に武道やその他の社会的な存在があるという立場です。
『兵法家伝書』には心を本心と妄心に分けて説明するところがあります。宗矩は、おそらく沢庵和尚の教示を受けてでしょうが、「本心と云ふは本来の面目、父母未生以前よりそなはり(備わり)て、かたち (形) なければ、生ずると云ふ事なし、滅することなし。形こそは父母もうみなせ、心はかたちなければ、父母の生みなせりともいひがたし (言い難し)。人生るれば、そなはりて此身にあり」と述べています。
本来の面目とか、父母未生以前というのは、ここは難しいのであまりここではあまり説明しません。しかし考えてみてください。何か外界から自分の中に刺激が入ってきたら、いつも私たちは自分たちの「言葉」や「概念」によってそれを見ています。心理学的には「刺激」から「思考」や「感情」が湧き上がる段階。この世界は根本的には「自分」というものがあって、意識しようがするまいが、自分にとって良いことなのか、悪いことなのかということを考える「はかりごと」が働く世界です。概念がはたらくと、おのずと自分 (通仏教的には、無明とか我執といいます。自分と自分以外を分けるはたらきです) というものを基準にした尺度が出てきてしまうのです。これを妄心と言っています。空の思想 (中観) を確立したナーガルージュナ (竜樹) はこれを戯論とも呼びました。そうすると猛烈に何かをしたくなる。仏教では「行」といい、心理学では「衝動」といいます。いわば概念の世界の構築からその連続で行動が現れるのです。戦闘時の心のありようはその究極の姿です。生きたい勝ちたいという自分の生存本能がむき出しになる世界です。
山岡鉄舟の伝記でも汗をびっしょりかくような体験をしたことが書かれていますが、山岡鉄舟ほどの人でも負ける (つまり死ぬということに直結) ことは怖かったということです。そしてどのように強い人もそうなのでしょう。北条時宗も無学祖元にたびたび参禅していますが、「本来であれば自分から師のもとにいくべきですが、館を出ると何がおこるかわからないので手紙で質問します」みたいなことを書いています。そして悪業を積めば地獄行きというのが当時の常識ですから、職業上場合によっては悪業 (つまり殺人) を積まざるを得ない立場の武家がどれほど禅や浄土教に救いを求めたか、自分ではどうしようもない現実の中で心からそれを求めていた (渇望、渇仰) という側面があります。
