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65) 柳生心眼流の免許体系56 数息観
柳生心眼流 柳心館のホームページを拝見しておりましたところ、昨年12月24日の納会の際に、館長の佐々木崇哉氏から皆伝が伝授されたとのことが書かれていました。そのまま読み進めていくと「今回の皆伝免許の伝授は初代館長星彦十郎師範が昭和15年に発行した以来。2代館長~5代館長は皆伝を発行していなかったので、実に85年ぶりに柳心館長が発行という歴史的な伝授となりました。」と書かれていました。
なんか不思議。2代館長~5代館長が皆伝を出していないということは、ご自身はどなたから皆伝をいただいたのでしょうか。つまりいろいろとは修行されても、法流というか最終的にどなたの弟子として皆伝をいただいたのか、どの師範の心技を中心に据えて伝えていくのかということです。同じ柳生心眼流でも家風がありますし、伝わっている技も違います。こういうところは他の皆伝者は気にするところですので、ぜひしっかり表明していただくのがいいです。そのうえでご精進いただければと思います。
坐禅をしているといろいろな気づきがあります。これを坐禅の効用と言ってしまうとお坊様からは怒られてしまいます (坐禅して何になると聞けば、「無功徳」とか「なんにもならん」という答えが返ってきます)。しかし在家としてはこれも良くて通っているところがあります。なんか清々しくなったり、在家の先輩は警策をいただいて「肩こりが良くなる」とか言ってました。自分も頂くと血のめぐりがよくなる感じがして、積極的に頂いたりします。
さて、坐禅の入り口として「数息観」があります。お釈迦様から伝統の方法で、数を数えてもいいし、数えなくてもいいといわれます。自分の吸ったり吐いたりする自然な呼吸に自分の意識を向ける方法です。古くは「止」(シャマタ) と言われます。後代にいろいろな方法が出てきて、いろいろな物や仏様の像などに集中したりもします。何かの対象に心を集中させるということです。そうすると、ざわついた心が自然に静まってきます。
坐禅は「身を調え、息を調え、心を調える (調身・調息・調心)」といって、この順で整えて、うまくいかないとまた身や息を整えていきます。これはもともと『天台小止観』から出ているようです。日常生活の頭のごちゃごちゃとした思い(思考、感情、概念) をいったん横において背筋を正し、呼吸に集中していると、思考が現れては消え現れては消えしているのが分かります。自然な呼吸の中で思考のない間も心は続いていきます。そして思考がまた現れてきます。思考が現れてそちらに引っ張られているのに気付いたら、やさしく呼吸に意識をもどしていきます。まるで青空の中に雲が現れては消えも現れては消えといつまでも続いていきます。そのうち息も意識しなくなります。でも意識はずっと続いています。
ただこういうことは、とくに初めのうちはなるべくちゃんとした資格を持った方に指導していただくのがいいです。このときの心の扱い方は指導者により様々で「とりあわない」「相手にしない」「そのままにする」「おなかのところにおいておく」「おしりの下にずどんと落とす」とか。ここでは頭でこういうものと理解していただきために一例を書いています。坐禅から立つ場合も急に立つと転倒などあらぬ事故にもなりかねないので、終わり方もよく聞いて実践するのがいいです。
