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67) 柳生心眼流の免許体系58 八識真如と云、本分の白地なり
『月の抄』で心の最も奥底の第八識は「是は八識真如と云、本分の白地なり」と説明されていいます。第八識は阿頼耶識とも言われていて沢庵禅師が「一切の善悪の業、此八識に種子が残る故なり。一切の善悪の業、此の八識に残って八識より出て生死流転するぞ」と十兵衛に話したことが書かれています。この「〇〇するぞ」というのは今でも使いますが当時の言葉で、仏教の講義とかするときに講師の先生がこういう言い方をしていたようです。十兵衛はそのままに書きつけています。人がいろいろ心身で活動したその痕跡は「種子 (ここではシュウジと読みます)」としてこの阿頼耶識に格納されていて、何かがあると粗い識 (前六識) の上に現れ出てきます。つまり、自分のしたことやその記憶・感情が第八識に格納されてずっと相続されていくと説明されています。これが限りなく続いていく。死んでからも。修証義の中でよく読まれる道元禅師のお示しですが、亡くなるときに「唯独り黄泉に趣くのみなり。己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり」と示されていることを唯識的に説明するとこうなります。中有の体は意識からなる体で意成身ともいわれます。沢庵禅師も別の著書 (『玲瓏集』 「中有と申すは・・・」) で詳細に説明しています。道元禅師は『正法眼蔵道心』の巻で「この生をすてていまだ後の世に生まれざらんその間、中有ということあり・・・」として、そうなったときにどうしたらいいかを詳しく記しています。禅宗でもそうですし、たとえばチベット仏教のニンマ派の『死者の書』は有名ですが、ゲルク派にもそれに相当するものがあります。
注目すべきなのは昔の人たちはこういう話を在家でもお坊様から聞いて知っていたということです。『月の抄』ではこのあとに人が生まれてくるときや死ぬときにどのように心が変化していくかが書かれています。生まれるときには第八識から順に第七識、意識、前五識と現れてきて、死ぬときは前五識から壊れていって意識が第七識に溶けこんで、第七識が第八識に溶け込むといったことが書かれています。十兵衛が「此次でに御物語面白さに書する也」 (このついでにいろいろとお話をきいて面白かったので書き留めておく)と感想を書いています。もともとは天地の種子のことを質問したのですが・・・というより、種子 (シュウジ)って何ですかとお父さんに聞きたかったけれども、それには実は深い意味があるので宗矩は沢庵和尚にわざと聞きに行きせています。それもわかってと沢庵和尚は詳しく説明しました。生まれるとき、死ぬのときの心の状態について話がおよび、十兵衛も興味を持ったようです。
