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2026-09-08 23:47:00

73) 柳生心眼流の免許体系64 其の理を窮めつつ、只まっすぐに

令和895日は星彦十郎先生が昭和11年新田に柳生心眼流兵法柳心館本部を開いてから90周年にあたります。920日には新田で記念式典が行われます。

彦十郎先生と門人の方々のご努力により柳生心眼流兵法は広く伝えられました。新田柳心館には星家と地域の方々により活人剣の技と心が今日まで大切に守られてきました。私たちもその流れに属し恩恵をいただくものとしてここに心よりお祝いを申し上げ、新田柳心館宗家星徳一先生とその門人の方々のますますのご健勝とご活躍を祈念申し上げます。

 

前回からの続きです。

そのため沢庵禅師は修行者 (この書では兵法者) はその仏性とか、本心とか言っているものが何であるかを自分の心を通してしっかり見きわめなさいと。まさに禅。「一生参学の大事」「生死の因縁」「仏家一大事の因縁」とかいいます。臨済禅師は仏性を無位の真人とも表現していてそれは「あなたたちの面前で出入りしているからよく見なさい」とおっしゃいました。

沢庵禅師は「唯悟り得たる人のみ能く之を見るなり。其の見たる人を見性成仏の人と云ふ」(この本心が何者かを悟った人のみが見性成仏した人というのです。) と示しています。つまり自分にほんらいから備わる仏性・真我がどういうことなのかわかるということは、悟りそのものなので頑張れというわけです。ただし、かなり難しいと書いてあります。「此の拈華微笑の旨を得たる者は十万人中に一人も無きことなれども」です。しかし「若し最大乗の人ありて知らむと要せば、さらに参ぜよ三十年」と長い間修行していくことが大切だと言っています。

そして、ここが武道を稽古する者にとってもとても大切です。それのことが本当の意味でわかるためには「物語のうちにも、無言のうちにも」「茶を飲むうちにも飯を食ふうちも」「恒に自己に立ち返り、急に眼を着けて其の理を窮めつつ、只まっすぐに、是は是、非は非にして、それぞれの上に此の理を看よ」と。巻の最後には「此の剣の妙理を学する者はたやすく麤相なる観念をすることなく、高く精彩を励まし切に工夫を着けて片時も怠ること勿れ」といっています。これらは言葉通りに味わっていただくといいです。余計かもしれないですが分かりやすい言葉で言うと、「いつも自身の心を観察して、しっかりと集中してあっちからもこっちからも検討して、誠実に正面から向き合って、よいことはよい、悪いことは悪いと決断し、そのうえでその上に立ってこの「理」、つまりどういうことなのかを見つめなさい。」「この仏性のすばらしい仕組みを学ぼうとする人は、安易な結論に陥らないで、高みを目指していつも工夫して片時もおこたらないでください」と。ただ、私たちの流れは仕事と武道の二足のわらじですのでそれだけに熱中してしまうのはまずいです。ぜひお学業やお仕事を優先に。

そして、「教外別伝とは師の教への外に別に己が自悟自得せねばならぬ法なるぞ」とも示していて、その少し前には「此の真実の兵法は言辞にて語り伝ふべき様もなく、又法様とて個様に構えて何処を打てよなどと教へ習す様もなし」(この本当の兵法というのは言葉で伝えたり、形としてどのよう構えてここを打てなどと教えることはできない) と書いてあります。つまり、道場で稽古する技が剣術だったり棒術だったりしたからといって、いざ困難なことに遭ったときにどう動いていくのかということができなければ自分を救う真の兵法にはなりません。そういったときに自分を守ることが本当の兵法だからです。だから、本当の兵法は困難を乗り越えて「生きていく」ことです。これは自分の中に自分の努力で養うしかない力です.人の教え方が悪いではありません。

同じようなことを道元禅師もおっしゃっていて、『弁道話』で「この法は人々の分上にゆたかに豊かにそなはれりといへども、いまだ修せざるにあらはれず、証せざるにはうることなし(この法、つまり仏性は人それぞれの中に豊かに備わっているけれども、その人が修行しなければそれが現れてくることはないし、それが何であるかがわからなかったら自分のものになったということにはならない) と示されています.つまり自分で参究しなかったらわかりません。

道元禅師の書かれた『現成公案』では風 (心・仏性のたとえです) はどこでもめぐっていく性質を持っているけれども、扇であおがなければ風として現れないという麻浴禅師の公案を通してそのことを説明しています。その問答の最後に修行僧が「風の性質がすべての世界にいきわたっていて、いきわたっていないところがない (無処不周) とはどういうことですか」とお聞きしたところ、麻浴禅師はただ扇であおぐばかりだったそうです。ただあおぐ。それだけ。あおぎ続ける。ずっと。この故事を示してから道元禅師は「仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。」として、これこそが大切なのだと。あおぎ続けることで「仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ(仏道を歩むひとりひとりの、今ここで仏性に支えられて起こしていく風が、つまり行いが、大地から黄金をとりだしてみせるように、この世の中に限りない尊い価値を生み出していく)とおっしゃっています。沢庵禅師の「妙用の力」「太阿の剣」です。