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2026-11-03 23:59:00

81) 柳生心眼流の免許体系72 とどまらぬ心の稽古専要なり

不動智とは出発点 (動機) と目標を忘れないこと。それらを見据えてじっくり積み重ねていくことです。私たちの流れであれば活人剣。柳生心。危急の中でも生きること、守ること。平生でも生きること、守ること、そして育て生かすこと。桃生の『師弟合祀碑』の「秉心塞淵」の淵とは深くて広いことを示す言葉です。

仏教ではよく功徳や徳を海にたとえます。まだドンピシャの出典がみつけられていないのですが、星国雄先生は「一枝の枝のもとの水はやがて大海に入る」とおっしゃっていました。広い深い淵や海を満たすように世界中の川の上流で一滴一尺水を加えていく。半杓でもいい。今までの人々の努力によってすでに淵はいっぱいにたまっているのですが、さらにこれに一滴、ひとすくいの水を足すことに躊躇しない。これは危急のときでも同じだという道理です。水の流れる速度はいろいろでしょうが平生であれば選びに選んで余計な動きはせず、なすべきことを進めていきます。ましてや危急の時においてをやです。

それができるためには常の稽古でいつも研究していることが必要です。宗矩は『兵法家伝書』で「如何様の秘伝を得て手をつかふとも其手に心がとどまらば兵法は負くべし。敵のはたらきにも、我が手前にも、きってもつひても、其の所々にとどまらぬ心の稽古専要也」(どのような秘伝を伝授されてそれを使ったとしても、太刀をもつ自分の手に心がとどまってしまえば負けるだろう。相手の動きにも、自分の太刀を持つ手にも、切り込んでも突いても、それぞれのところに心がとどまらぬようにする心の稽古こそ大切です) と書いています。流祖もそういう宗矩に教えを受けて仙台に帰ってきました。私たちで言えば「条々三段の意味深し。工夫専用たるべきこと」です。口伝は言えないですが、これは表中極落などの七箇条だけではありません。教わった技すべてにおいてこの心得が大切です。桃生の師弟合祀碑の「誰か復た業を創り百世の師を継がん」という語句もまさにこれです。みなそれぞれに自分の状況はあると思うし、決して無理する必要はないです。それでもしっかり心の置き所 (無心) に心を置いて今日よりも明日、明日よりも明後日。私たちもまたとどまってはならないのです。