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8) 5月20日のAIさんから・・・三年師を選ぶべし
携帯のグーグルで柳生心眼流と入れて検索すると、毎日内容が変化するのですが、「AIによる概要」として最初に提示されます。最後に「AIの回答には間違いが含まれている場合があります」と出ていて、間違いは許してねということのようです。それでも数週間前からみても大きく妥当性が増しているように思います。すごい。5月20日の記事を引用して考察します。
「柳生心眼流 (やぎゅうしんがんりゅう) は、江戸時代初期に創設された日本古流武術で、総合武道であり、剣術、柔術、棒術、槍術などの武器術、甲冑術を含む武術です。」「柳生心眼流、合戦において鎧をまとった、敵を倒すための武術として、徒手空拳で敵を制圧する技や、気迫を重視する点が特徴です。」「柳生心眼流は江戸時代初期に竹永隼人によって創始された日本古流柔術です。」「柳生心眼流は、様々な武術技術を習得することで、体と心を鍛えることができます。また、武道を通して自己の成長を実感し、自己を磨くこともできます。」うーん、なかなかいいです。私たちは戦国時代の技と言っていて内容的にもそれでよいと思われますが、柳生宗矩についたということや、大坂の陣で宗矩とともに参戦したという伝えがあるため、江戸時代初期に創設されたとするのがよいのかもしれないです。「もし、柳生心眼流に興味ある場合は、お近くの支部や道場に問い合わせて、お稽古に参加してみることをお勧めします。」とあります。「柳生心眼流の学習」という項目もあって、興味ある方向けに優しい感じです。
ひとつ加えさせていただくとすれば、柳生心眼流といっても、各道場で教えている内容はかなり違うということです。徒手空拳 (うちでは素肌といいます) が中心のところ、剣棒も伝えているところ、甲冑術もあるところなど。こういうことはその道場がどの師範を淵源としているかによってかなり異なります。形中心のところも実戦中心のところもあり、一番初めに習う基本十一箇条でさえかなり違っています。基本十一箇条がないところもあるようですが、でも身のかわし (動き) と活人剣の心が同じであれば柳生心眼流です! これは江戸時代初めに二代が書いた「題柳生心眼流兵法書 (兵法書)」にも書いてあって、今でも全く同じなのには驚くばかりです。これがまさに流祖の命脈が今もいきいきと受け継がれているあかしです。
どの道場でも自分の体をと心を鍛えるには意味があります。ただ自分の習いたい内容を伝えているのか、道場の方針・雰囲気に合うかどうかはあると思いますので、長く続けるためには自分に合った道場を探すことが大切です。こういうことには慎重になるべきです。
柳生心眼流に限りませんが武道でも師は三年かけて探せといいます。(三年師を選ぶべし) 今は希望するなら見学させてもらえるところは多いのでは。いそぐことはありません。
7) 私の著作・著書・収集史料 その4
4. 作成伝書類
平成18年8月に星国雄宗家が亡くなってからしばらくの間、総本部で発行する伝書 (免許) を私が書いていました。皆伝伝書は令和7年5月までに8巻書いています。うち3巻は星国雄宗家の代授、3巻は総本部長 (2代目星国雄) 名で発行する伝書の代筆です。令和7年5月に柳正館でも初めての皆伝者が2名出ました。
一関時代 総本部宛 1巻 (代授)
仙台柳心会宛 2巻 (代授)
拳心会宛 3巻 (代筆)
柳正館 2巻
平成22年に埼玉に帰ってきて15年目かかりました。それでも完全というわけではないのですが、ここからは一緒に流祖や先師様たちの背中を追って走っていくだけです。これから何人の方に皆伝をお出しできるかわかりませんが、命の続く限り門人の方々とともにこの道に精進していきたいと思っています。
以上、私の主な著作、著書、作成史料などをお示ししました。いつもこの流儀に集まってくださる方が楽しく正しくこの武道を学べるよう、環境整備をすることが私の第一の使命と考えて活動してきました。
平成10年から22年までの柳生心眼流兵法総本部のことについては私が一番わかっており、そのようなことは流儀内ではわかっていることです。そうでないというなら、どうぞお申し出ください。ホームページではその頃のことも少しずつお話ししていこうと思っています。
6) 私の著作・著書・収集史料 その3
3. 柳正館時代
平成20年4月から平成22年3月までは盛岡で過ごし、平成22年4月から郷里の埼玉県さいたま市に帰り稽古を開始しました。館名は「柳正館」とし、「正」は星国雄宗家から頂いた武名である「源正国」に由来します。何か所か稽古場所を移動したのちに東大宮7丁目自治会館で定期的な稽古できるようになり、現在も同会館で稽古を続けています。
① 『柳生心眼流兵法資料集』(平成24年)
それまで私が収集した柳生心眼流兵法に関する伝書史料を仙台柳心館、拳心会、南方、総本部の甲冑免許以上であった関係者15名にCD版で配布しました。
この資料集はその後も順次改定を続け、柳正館の館員にも配布しています。
② 『拳心斎先生口述聞書 上』(平成28年) 全249頁。略称は『聞書上』。聞書は私が星国雄宗家につけていただいた稽古記録です。学生の頃は東北本線で仙台から一関まで1時間半かかりました。帰りの電車で稽古内容を記録していました。この習慣が先生が亡くなるので続きましたので、全18年間の記録になります、このうち平成元~5年までの記録を上巻に載せています。技は秘伝で公開できないことも多いので、心法や歴史に関することが中心です。星国雄宗家の肉声による膨大な口伝を伝えていて、他の道場にない柳正館の教授内容の根幹となるテキストです。今後少しずつ内容をブログでも取り上げたいと思います。巻末に「拳心斎先生略年譜」を載せています。初版本は在庫がなくなったため、現在第2版出版を計画しています。
③ 『拳心斎先生口述聞書 中』(平成30年) 全319頁。略称は『聞書中』。平成7~12年の稽古記録です。巻末に「星家の柳生心眼流兵法と星国雄宗家」「流儀の心」という文章を載せています。
④ 『拳心斎先生口述聞書 下』(令和3年) 全276頁。略称は『聞書下』。平成13~18年に先生が亡くなるまでの最晩年の稽古記録です。巻末に「佐藤輝男先生口述」「道の要略」を載せています。
5) 私の著作・著書・収集史料 その2
1. 一関総本部時代
平成10年5月に一関に転居し、星国雄宗家のもとで総本部の仕事をするようになりました。当時の肩書は総本部総務です。平成10年10月に一般用皆伝を許されました。このときの伝書は佐藤輝男先生が代筆し、星国雄宗家に署名、捺印をいただいたものです。この時代は一関総本部と各支部で使用する規約や指導過程を明確化するための書類を多く作成しました。
① 仙台柳心会資料『柳心館本部道場規則』とその解説 (星国雄監修 仙台柳心会編著 平成11年)
柳心館本部道場規則 (柳心館規則) は星彦十郎先生の道場規則です。柳生心眼流兵法の流法は江戸時代から伝わる定則と、明治32年の柳心館規則がありました。柳心館規則と現行法式(仙台柳心会内での申し合わせ)の違いを明確化するために作成した解説書です。私が草稿を作り星国雄宗家に監修をいただき、仙台柳心会で検討し本稿としました。 全12頁。
② 仙台柳心会稽古教程 (平成11年)
入会から甲冑免許までの概要を表形式にまとめ、星国雄宗家に監修いただいたものです。全5頁。
③ 『二十一箇条稽古の手引き』宗家星国雄監修 仙台柳心会編 (平成12年)
基本二十一箇条に関することをまとめた内容です。星国雄宗家に監修いただいています。全31頁。④はこの草稿を大幅に増広して作成したものです。
④ 『柳生心眼流兵法入門』(宗家 星国雄監修 仙台柳心会編 平成14年)
仙台市仙台開府400年の記念行事として出版しました。星家に伝わる柳生心眼流兵法としては歴史上初めての本格的で公式な入門書になります。門人に配布するほか、市内の施設にも寄贈しています。掲載する写真を撮っていたので私の写真は1か所も出ていませんが、第2~12章までと付録1~2を私が担当し執筆しました。草稿は星国雄宗家に監修いただき、仙台柳心会内の編集委員会でも討議して本稿としました。当時宮城岩手の多くの師範がいわゆる「敵取」を勧めていましたが、星国雄宗家の指導に基づいて、星家伝で最も重要な形は基本二十一箇条、つまり基本取であることを示しました。
ここには挙げませんが、平成16年の「柳生心眼流兵法 秘伝発表演武大会」や平成18年の「柳生心眼流兵法 第14代宗家星国雄師追悼 仙台支部 (仙台柳心会・泉拳心会) 創立20周年記念演武会」などの記念冊子も作成・とりまとめしています。
4) 私の著作・著書・収集史料 その1
以下に私の作成した資料、著書などを紹介していきます。
1. 仙台柳心会時代
① 心眼流コミニュケーション 第1号~第8号 (平成8年~平成10年)
私は仙台柳心会に昭和63年に入会しました。星国雄宗家への入門も昭和63年です。平成8年から仙台柳心会内でのコミニュケーション促進を目的に一人で編集し発行していました。当時の稽古、伝授、武道大会の参加記録があります。最後に編集を担当した第8号には平成10年3月に日本古武道協会主催によるフランス・モナコ演武大会に参加したときのことが書かれています。この時の参加者は星国雄宗家、星徳一、相澤清、高橋健、酒井直の5名でした。
