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5) 私の著作・著書・収集史料 その2
1. 一関総本部時代
平成10年5月に一関に転居し、星国雄宗家のもとで総本部の仕事をするようになりました。当時の肩書は総本部総務です。平成10年10月に一般用皆伝を許されました。このときの伝書は佐藤輝男先生が代筆し、星国雄宗家に署名、捺印をいただいたものです。この時代は一関総本部と各支部で使用する規約や指導過程を明確化するための書類を多く作成しました。
① 仙台柳心会資料『柳心館本部道場規則』とその解説 (星国雄監修 仙台柳心会編著 平成11年)
柳心館本部道場規則 (柳心館規則) は星彦十郎先生の道場規則です。柳生心眼流兵法の流法は江戸時代から伝わる定則と、明治32年の柳心館規則がありました。柳心館規則と現行法式(仙台柳心会内での申し合わせ)の違いを明確化するために作成した解説書です。私が草稿を作り星国雄宗家に監修をいただき、仙台柳心会で検討し本稿としました。 全12頁。
② 仙台柳心会稽古教程 (平成11年)
入会から甲冑免許までの概要を表形式にまとめ、星国雄宗家に監修いただいたものです。全5頁。
③ 『二十一箇条稽古の手引き』宗家星国雄監修 仙台柳心会編 (平成12年)
基本二十一箇条に関することをまとめた内容です。星国雄宗家に監修いただいています。全31頁。④はこの草稿を大幅に増広して作成したものです。
④ 『柳生心眼流兵法入門』(宗家 星国雄監修 仙台柳心会編 平成14年)
仙台市仙台開府400年の記念行事として出版しました。星家に伝わる柳生心眼流兵法としては歴史上初めての本格的で公式な入門書になります。門人に配布するほか、市内の施設にも寄贈しています。掲載する写真を撮っていたので私の写真は1か所も出ていませんが、第2~12章までと付録1~2を私が担当し執筆しました。草稿は星国雄宗家に監修いただき、仙台柳心会内の編集委員会でも討議して本稿としました。当時宮城岩手の多くの師範がいわゆる「敵取」を勧めていましたが、星国雄宗家の指導に基づいて、星家伝で最も重要な形は基本二十一箇条、つまり基本取であることを示しました。
ここには挙げませんが、平成16年の「柳生心眼流兵法 秘伝発表演武大会」や平成18年の「柳生心眼流兵法 第14代宗家星国雄師追悼 仙台支部 (仙台柳心会・泉拳心会) 創立20周年記念演武会」などの記念冊子も作成・とりまとめしています。
4) 私の著作・著書・収集史料 その1
以下に私の作成した資料、著書などを紹介していきます。
1. 仙台柳心会時代
① 心眼流コミニュケーション 第1号~第8号 (平成8年~平成10年)
私は仙台柳心会に昭和63年に入会しました。星国雄宗家への入門も昭和63年です。平成8年から仙台柳心会内でのコミニュケーション促進を目的に一人で編集し発行していました。当時の稽古、伝授、武道大会の参加記録があります。最後に編集を担当した第8号には平成10年3月に日本古武道協会主催によるフランス・モナコ演武大会に参加したときのことが書かれています。この時の参加者は星国雄宗家、星徳一、相澤清、高橋健、酒井直の5名でした。
3) 流祖は竹永隼人
星国雄 (初代) 門下では柳生心眼流兵法の流祖は竹永隼人となっています。これは今では自明のことにように思いますが、はっきりと流祖は竹永隼人であるとしたのは比較的最近です。これは星国雄が柳生新陰流の師範である柳生厳長、大坪指方との交流し、たびたび桃生の調査を行って数々の史料や師弟合祀碑が発見された結果によるものです。これには地元の郷土史家や大坪指方の協力も大きかったようです。出版物によりその経緯をみていきます。
星彦十郎晩年の昭和17年5月8日に明治神宮で行われた「戦没将士慰霊 古武道各流大会」記録では流祖は「柳生美作守」、流派は「柳生心眼流 (甲冑兵法 小具足之型) となっています。
昭和34年の『宮城県史18』(宮城県史編纂委員会 402ページ)では「元祖 竹永隼人は仙台藩浪人で、神道・神願・首座・戸田四流の末流で私に心眼流を立てて」とあって、これは寛政4年の『御家中士凡諸芸能調書抜』(宮城県立博物館蔵) によったものと思われます。
昭和53年『増補大改訂 武芸流派大辞典』(綿谷雪・山田忠史編。東京コピイ。848頁) では「はじめ庄内藩士の羽州帯刀 (戸沢帯刀と同一人か) が柳生五郎右衛門宗俊 (石舟斎の子) から伝授をうけて、神眼流を開創した。この流れは数伝して竹永隼人金次に至る。・・・(中略)・・・とはいうが竹永以前の伝承に関しては、なお正確を期しがたい。」とあります。
星国雄は昭和40~50年代に島津兼治とともにたびたび桃生の調査を行っています。このときのことを「島津と自動車に寝泊まりしてパンの耳をかじりながら回った」と述懐しています。
同じく昭和53年『秘伝 日本柔術』(松田隆智 新人物往来社) には「柳生心眼流の初期の伝承者、すなわち元祖の羽州帯刀から竹永隼人に至る」とあります。なお、この本の柳生心眼流に関しての資料原稿は島津兼治から渡されたと聞いています。
「古武道 柳生心眼流」(星勝雄 昭和60年) には「柳生心眼流の流祖は、以上に挙げた理由によって、竹永隼人であるとしたい。」とあり、このころにおおよその合意が得られたものと考えられます。これは私が大学に入学し仙台で柳生心眼流に出会ったころのことです。
平成元年になると『日本古武道総覧』(日本古武道協会) の柳生心眼流兵法の欄では「流祖竹永隼人」となっていて、以後この内容が引き継がれていきます。
私の頂いた伝書でも一番最初は柳生美作守、柳生宗矩、竹永隼人とさまざまで、文章中にも「竹永直人翁之所伝之兵法」、「柳生美作守之所伝之兵法」と異なって書かれていたりします。このように伝書によって伝系や内容が異なっていることは柳生心眼流ではよくあります。昔はこのような伝書の伝系や内容は、異なっていてもありがたくいただいてそのまま書き伝えることが美風とされていたので、疑問を挟まないということが多かったと考えられます。しかし星国雄は流祖の問題はゆるがせにできない大きな問題であるとは考えました。このため桃生の調査を行って詳細に検討して「流祖竹永隼人」を確定しました。今でも不明な点はたくさんあるのですが、このような経緯から星国雄の門下は竹永隼人が流祖であるとして、以降もこの決定を踏襲しています。
2) 私の立場
はじめに私がどういう立場でお話をするかということを表明したいと思います。
① 目的: このブログは柳生心眼流兵法について正しい内容・理解をしていただくためのものです。古武道やとくに柳生の心法についても含めていきたと思います。
② 責任性: 私は先代の星国雄 (柳生拳心斎、星宗家) 先生から唯授一人を受けました。従いまして先生からは流儀の事についてはお前に任すといわれています。一関の柳生心眼流兵法総本部を退くにあたり、総会で「私のほかに星宗家からの唯授一人であるという人はありますかと」と問いましたが、だれも名乗り出る人はいませんでした。ですので星宗家からの伝については私が最もよく知っており、流儀を説明する立場にあるということです。
③ 正確性: このような立場で星家に伝わった柳生心眼流兵法について、できるだけ正確に説明をしたいと思います。仙台柳心会を含む修行時代や総本部にあったとき、私がその運営にどのように携わったかについても今後書いていきたいと思います。同じ柳生心眼流とはいっても他の流れの解釈や教えとは異なっていることが想定されます。ここで発信するのは私たちの流れ、つまり流祖から二代吉川市郎右衛門、三代伊藤久三郎、四代小山左門、五代相沢東軒から加藤権蔵を経て星家に入った流れについて解説するものです。
④ 限界性: 先生からは十分な教えを継承していますが、柳生心眼流兵法の歴史については十分わかっていないこともたくさんあります。それらに対しては謙虚でありたいと思います。口伝ではこうと伝わっていても、確証がとれないこともままあります。他の人との混同などもあるかもしれません。今自明のように言われていることも、今後のあらたな発見によっても変わっていく可能性はあると思います。
⑤ 厳密性: 史料の文言についてはなるべく正確にしたいと思います。出典の表示可能なものは表示したいと思います。他の資料の誤りと考えられるところは指摘します。ただし、柳生心眼流の文書では異体字や翻刻書写時の誤りによる脱落だけでなく、内容の意図的な脱落、変形をすることがあり、ここは流儀の人間でないと受け取ることができないところがあります。伝書はひとりひとり状況に合わせて異なって作成する伝統があります。このため通常の歴史資料と同じ考えで読むと理解を誤ることがあります。こういうことはブログの中でも触れていきたいと思います。
⑥ 誤りの修正: 以上の立場でブログをつづっていきますが、もし誤りがあればご連絡ください。ホームページにある電話番号のSMSがつながりやすいです。携帯電話でも構いません。ただし、必ずお名前と所属団体をお名乗りいただいたうえでお受けしたいと思います。感謝して訂正させていただきます。悪意をもってのコメント、指摘には反応致しません。
1) ブログ開始
ホームページにご来訪いただきありがとうございます。
最近、携帯電話で「柳生心眼流」といれて検索すると、
「AIによる概要」というものが最初に出てきて、内容が毎日変化して驚きます。
流祖名も内容も異なったりしているので、うーん・・・
さすがに鎧通を持つ相手に徒手空拳で立ち向かうのが特徴とか・・・
(そういう場面も想定はできますが・・・組討ですのでふつう鎧通は両者持っております)
見沼区に柳生心眼流の道場はないようですとか・・・
(平成22年から活動してますし、毎年奉納演武もしてますが・・・ホームページもありますが・・・)
流祖が誰それの子であるとか・・・
(そんな話あるのですか? 確かに小説としては面白いかも)
ビックデータから有意義な情報を引き出すというのは、実はけっこう大変なことです。
私は統計学もしているのですが、大小形もいろいろな波の中から有意で大切な小波を
見つけ出すのは結構経験がいります。
何となくしようとしても表面的なところしか見いだせなかったりします。
AIは網羅的ですがまだ深読みはしてくれていないようです。
ということでAIが柳生心眼流のしっかりした情報をまとめてくれるようになるまでには
もう少し時間がかかりそうです。
制御する方もアルゴリズム作るのは大変だろうなと思います。頑張っていただきたいです。
ここは未来を見据えてあたたかく見守りたいです。AIさんも頑張ってくださいね。
同時に、やはりこちらも正確な情報発信をしないといけないなと感じました。
正しいといっても神様仏様ではないので絶対ではないです。
ですが、やはりなるべく正確であること、わかりやすいことは大切かと思います。
正午の鐘がある日に12時10分、翌日は12時13分、翌々日は11時40分に鳴ったら
こまりますよね。
予測がつきにくいし、行動していいのか迷います。
やはり正午の鐘は正午に鳴るのがいいです。
ということでブログを使って柳生心眼流兵法や古武道について情報発信をしていきたいと思います。
厳しいことも書きますが、楽しんでいただけるように書くつもりです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
柳正館主 酒井 直
