ブログ
66) 柳生心眼流の免許体系57 唯識の八識
この粗い意識自体は寝ているときは消えて起きると立ち上がります。しかしその奥に流れて働いている「本心」には始めもなければ終わりもないといわれています。 前にも書きましたが『兵法家伝書』に「本心と云は本来の面目、父母未生以前よりそなはりて形なければ生ずるということなし。滅するという事なし」とあります。人は子供が生まれると父母と呼ばれます。そのような概念の立つ前のこころ、つまり本心ということになります。本来の真面目 (本来の本当の姿) という言い方にもなります。本心は生まれるよりもずっと前からあって、私たちの心は初めのない昔 (無始以来) 続いてきているというのが禅や仏教の立場です。
十兵衛の『月の抄』「天地之種子之事」で唯識の八識 (眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の前五識と意識、第七識、第八識) の説明を沢庵和尚から十兵衛が受けて書いています。
「天地之種子とはなんですか」という十兵衛の質問に宗矩は「是の習六ヶ敷していひ分かたし。和尚に奉尋べき」 (難しくて説明できないから和尚にお聞きしてみろ) とだけ答えています。十兵衛はその後沢庵和尚に質問して教えてもらいました。これは仏教の唯識学の基本的なところをまとめたものです。十兵衛にとっては興味深かったらしく、詳しく教わったことを書き記しています。
宗矩のコメントがないので、本来はここでは取上げなくていいのですが、少し脱線して説明させていただきます。
お釈迦様が亡くなってからしばらくして、教団は上座部と大衆部に分裂し、さらに見解の違いで部派仏教がたくさん出てきます。キリスト教の勃興する紀元1~2世紀ころにインドとその周辺では般若経、法華経、阿弥陀経、華厳経など大乗経典のもととなるお経が編纂されていきます。そして3~4世紀ころになると般若経の空の思想を研究する中観派、さらに少し遅れて心のはたらきを詳しく分析する「唯識派」が活躍します。この両者ははじめ対立しますがやがて両者を取り入れて修行に生かそうとする流れができ (瑜伽行派) 、さらに密教がおこってきます。唯識学は「無著 (アサンガ)」と「世親 (または天親、バスパンドゥ)」という兄弟の著書を根本にして学ばれ、孫悟空で有名な「三蔵法師 (玄奘三蔵)」はインドにこの唯識学を勉強にしに行き持ち帰ってきた方です。中国から日本にも伝わって、奈良の興福寺などで研究されました。密教はその後、初期密教 (チベットでは所作タントラ)、中期密教 (行タントラ、瑜伽タントラ)、後期密教 (無上ヨガタントラ) と発展して、その後はチベット仏教に受け継がれていきます。日本の密教は中期密教までの伝を受け継いでいます。
沢庵和尚は「是は八識の理をしるべし」として、「麻、縄、蛇、因、像、果」「円成性、依他起性、偏計性」などと書いて説明していきます。ややこしくなるので今回は各々は説明しません。また前の五識を麁識 (粗い意識)、第七識と第八識を細識 (微細な意識) と区別しています。
65) 柳生心眼流の免許体系56 数息観
柳生心眼流 柳心館のホームページを拝見しておりましたところ、昨年12月24日の納会の際に、館長の佐々木崇哉氏から皆伝が伝授されたとのことが書かれていました。そのまま読み進めていくと「今回の皆伝免許の伝授は初代館長星彦十郎師範が昭和15年に発行した以来。2代館長~5代館長は皆伝を発行していなかったので、実に85年ぶりに柳心館長が発行という歴史的な伝授となりました。」と書かれていました。
なんか不思議。2代館長~5代館長が皆伝を出していないということは、ご自身はどなたから皆伝をいただいたのでしょうか。つまりいろいろとは修行されても、法流というか最終的にどなたの弟子として皆伝をいただいたのか、どの師範の心技を中心に据えて伝えていくのかということです。同じ柳生心眼流でも家風がありますし、伝わっている技も違います。こういうところは他の皆伝者は気にするところですので、ぜひしっかり表明していただくのがいいです。そのうえでご精進いただければと思います。
坐禅をしているといろいろな気づきがあります。これを坐禅の効用と言ってしまうとお坊様からは怒られてしまいます (坐禅して何になると聞けば、「無功徳」とか「なんにもならん」という答えが返ってきます)。しかし在家としてはこれも良くて通っているところがあります。なんか清々しくなったり、在家の先輩は警策をいただいて「肩こりが良くなる」とか言ってました。自分も頂くと血のめぐりがよくなる感じがして、積極的に頂いたりします。
さて、坐禅の入り口として「数息観」があります。お釈迦様から伝統の方法で、数を数えてもいいし、数えなくてもいいといわれます。自分の吸ったり吐いたりする自然な呼吸に自分の意識を向ける方法です。古くは「止」(シャマタ) と言われます。後代にいろいろな方法が出てきて、いろいろな物や仏様の像などに集中したりもします。何かの対象に心を集中させるということです。そうすると、ざわついた心が自然に静まってきます。
坐禅は「身を調え、息を調え、心を調える (調身・調息・調心)」といって、この順で整えて、うまくいかないとまた身や息を整えていきます。これはもともと『天台小止観』から出ているようです。日常生活の頭のごちゃごちゃとした思い(思考、感情、概念) をいったん横において背筋を正し、呼吸に集中していると、思考が現れては消え現れては消えしているのが分かります。自然な呼吸の中で思考のない間も心は続いていきます。そして思考がまた現れてきます。思考が現れてそちらに引っ張られているのに気付いたら、やさしく呼吸に意識をもどしていきます。まるで青空の中に雲が現れては消えも現れては消えといつまでも続いていきます。そのうち息も意識しなくなります。でも意識はずっと続いています。
ただこういうことは、とくに初めのうちはなるべくちゃんとした資格を持った方に指導していただくのがいいです。このときの心の扱い方は指導者により様々で「とりあわない」「相手にしない」「そのままにする」「おなかのところにおいておく」「おしりの下にずどんと落とす」とか。ここでは頭でこういうものと理解していただきために一例を書いています。坐禅から立つ場合も急に立つと転倒などあらぬ事故にもなりかねないので、終わり方もよく聞いて実践するのがいいです。
64) 柳生心眼流の免許体系56 転じて幽にして跡のなき
ブログの更新の間が開いてしまいましたことを申し上げます。またマヌラ尊者の偈頌について細かいところですが触れておかなければならないことを落としてしまったことに気づきました。
伝書で「心随万境転」 (『兵法花伝書』柳生家本、天理本) と「心随万鏡転」(『新陰流兵書』) の2つ書き方があります。境だと見ている対象、鏡だとそれを写している心の意味ともとれるのですが、新陰流兵書でも宗矩の解説をみると、対象 (境) の意味と宗矩が理解しているので (「何にても我に向来るよろずを万鏡と云也」) 、いずれの場合も対象 (境) と受けとってよいと考えられます。
この「転」は回転するという意味だけと受け取ると武道の意味と合致しないです。転にはものが動いていく、時間や位置が進んでいく意味があります。仏教でもそうですが、新陰流兵書のもう少しさきに「水の流れて先に転ずるごとくに心の先に転じて幽にして跡のなき」というところでその用例があります。
下の句ついては一般には「随流認得性」なのですが、『新陰流兵書』では「遵流認得性」になっています。同じしたがうでも随 (ずい) より遵 (じゅん) の方が少しきついいい方です。遵流を宗矩は「流のごとくに転じて」、性は「心の転じて跡のかすかなる所をしょう (性) と云也」、認得は「とくとあきらめて (しっかりわかって) 」と説明しています。つまり、心はいつも水の流れのように動いていて一瞬も跡をとどめないというあり方を十分わかって「我が一心を用いなすこと簡要なり」「跡に残らぬ所の心を兵法に取用べし」と説明しています。
ごちゃごちゃとわけのわからない話をつづけております。こういうことは分からないでいいです。無理にわかろうとしないで、「そんなこと言ってたなあ」ぐらいに心に届めていただくとありがたいです。あるときふとしたことから、ああ、そんなことかと合点していただければそれで十分です。
さて、宗矩はおそらく面前で沢庵和尚から仏教的な説明を受けて、それをどのように兵法に引き当てて考えたかというと、四句ともに「転じて幽にして跡のなき」を用いよと言っています。そうすると、実は前の二句と同じことになります。ですので前の二句で足りるということになります。兵法で受け用いるのは「転じて幽にして跡のなき」というところ。つまり「転ずる処実に能く幽かなり」だけでいい。「四句ともに兵法の心持には一所に心をとどめず能幽なりと云所を取り用べし。初心より極意まで此の心のくべからず」と言い切っています。原文をぜひ読んでみていただければと思います。(『新陰流兵書』 改訂史料 柳生新陰流 上巻 新人物往来社)
さて、どうして『兵法家伝書』では後の二句は道の師に聞けといったでしょう。これは私なりの考えなのですが、私たち世俗のものが「本心」から言うと使うときには「本音」とか自分が言わないけれど心に思っていることを意味して使います。たとえば昔なら手紙には書けないほど大切なことは使者に口上で伝えさせます。「内証 (今の内緒)」というと、世俗では本音のことですが、仏教では仏様の深い悟りの心そのものを指す言葉です。ここで沢庵和尚のいう禅の「本心」はもっと世俗の概念を生み出すより深い奥底の心 (あるいはより微細な心) なので、誤解してしまう可能性があり、兵法者が説明するよりその道の専門家にきくよう勧めるのが良いと判断したと思います。そのうえで、宗矩自身がわが兵法にあてはめる (つまり世俗の者が借用する) と「四句共に兵法の心持には一所に心をとどめず能幽なりと云所を取り用べし」といい、さらに「よく幽かなる心をとくとあきらめて、転じて後のかすかなるよう」努めるべきだとし、最後には「当流の極意を知らんと欲せば、心の理を知る可し」と結んでいます。言葉は違いますが私たちの流れでも全く同じです。伝書や口伝をいただいている方はどこからそれが伺われるのか、探してみていただければと思います。
63) 柳生心眼流の免許体系55 流れに遵いてその性を認得す
下の二句 (流れに遵いてその性を認得すれば、喜びも無く亦た憂いも無し) を通仏教的に解釈すると、「心がたえず千変万化していく流れに逆らわず、その状況に随うように心を観察していくと、そこ(転処) にはどこを見ても、前も中も後も、つまり過去も現在も未来も、何かの心がそこにとどまってあるという状態を見つけ出すことができません。どこにも辺際 (区切り) がどこにも存在しないということに気づきます」ということでしょうか。
たとえてみれば昔のフィルム時代の映画は1こま1こまの写真の連続でした。これを連続して見せると人間の頭が錯覚して動いているように見えますが、それがいつまでも続いていくのに似ています。心には初めも終わりもなく、どこからが生まれた、どこからが住した、どこからが滅したという区切りもありません。数えきれないほどの遠い昔 (無始以来) からそういう連続していく心を心相続とか清浄な数珠といったりします。
現象そのものは実際には明歴々、露堂々、浄裸々、赤洒々と形容されるありのままの存在であるものを、それを受ける心 (つまり妄心) が言語・イメージ・概念つまり戯論として認識し活動しているものであるということが分かります。それは本心 (よく鏡にたとえられます) の中に映る映像のようであるとたとえられます。喜びと憂い、是と非、行くと来る (去来) 、私と私以外などの概念は映像のように現れては消えていく存在・性質 (性) であると理解できます。絶対的にあって固定されたものではない。自性がないとも表現されます。これが「喜びも無く亦た憂いも無し」になります。実際には喜びも憂いもあるのです。しかし、これらは固定 (常住主宰 ずっとあって、他に依存しない) されたものではないということです。もっときつい言い方では (自分の思っているようなあり方で何かかがあると思ったら大間違いで) 「ありもせんこっちゃ」とおっしゃった禅匠もいらっしゃいます。
これはいろいろなお経で示されていて、たとえば幻のごとくとか、陽炎のごとくとか、夢のごとくとか、影像のごとくという喩えで示されます。存在とはそういうあり方で存在しているのだということです。沢庵和尚は亡くなる直前に「夢」と書いて遷化しました。
誤解してほしくないので申し上げますと、幻や夢だから虚しいのではないです。お経では「虚」と表現しますが、これは真実 (勝義、第一義などといいます。さとりの世界です) ではなく仮のもの (世俗、仮、中、仮設、施設などといいます) だということです。たしかに古典作品にもこの世がはかないと書いてあるものはたくさんあります。悲しみに触れたときはそのような心が出てくるのはやむをえないのですが、それだけなら涙にくれと終わってしまいます。仮に現れているものだからこそ自分も状況も行動や努力次第でよくもなり悪くもなる。実際にはここがとても大切です。「本来無一物」ともいわれますが、「無一物中無尽蔵」ともいわれます。禅だけでなく密教も心のもつ限りない生命力を教え、浄土の教えでもまた阿弥陀様の限りない光に照らされて一生懸命生きていきます。空を飛ぶ鳥、水をいく魚のように躍動する命です。沢庵禅師も宗矩も一生懸命生きました。
62) 柳生心眼流の免許体系54 心は万境に随って転ず
最近埼玉は少し過ごしやすくなりましたが、じきに暑くなるのだと思います。「酷暑日」の定義もできて今年の夏の暑さも厳しくなりそうです。生物学の格言で「強い者が生き残るのではなく、適応するものが生き残る」というのがありますが、エアコン、水分などあらゆる手段を使って暑い夏に適応したいと思います。なお、適応といっても無理は禁物であることを医師として申し添えます。
宗矩は『兵法家伝書』でマヌラ尊者の伝法偈 の前2句「心は万境に随って転ず。転処実に能く幽かなり (心というものは外の対象 (専門用語で境といいます) から刺激が入ると、かぎりなく飛び回り、動き、変化していくものです。しかし、その心が動いているところをよくみても映像が動いていくようにそこには (転処) どこを見ても少しもとどまるものがありません)」をひいて、これを兵法の眼として用いるにはどう考えたらよいかを詳しく説明しています。
「その所に心があとを残さずして」とか「こぎゆく舟のあとのしら (白) 波と云ふごとく」「あとは消えてさきに転じ」「そっともとまらぬところ (処)」とか。言葉は違えど柳生心眼流も全く同じです。詳しく説明すると口伝に触れてしまうのでしませんが、私たちの流れでもいろいろな言葉で説明しています。流祖がどういう方であったかを思い出せば分かる方にはわかると思います。さすが師匠と弟子だよなあと思います。歴史的には流祖は兵法家伝書が書かれるもっと前に宗矩についたと考えられるので、この伝法偈で流祖に説明したかどうかはわかりませんが、新陰流という流儀がそうなのでしょう。そこから教えていただいたことを流祖も実践し弟子に伝えました。
そして「下の二句は略して之を記さず。参学して全篇はしるべし。兵法は上の二句にてすむ事也 (後ろの二句は略してここには書きません。禅の師について学び4句の意味を知るべきです。兵法は前の二句で足ります)」と書いています。下の二句とは「流れに遵いてその性を認得すれば、喜びも無く亦た憂いも無し」です。実際には、下の二句も沢庵和尚から教えを受けていて、これは寛永10年2月に書かれた『新陰流兵書』 (改訂史料 柳生新陰流 上巻 新人物往来社) で確認できます。「私は沢庵和尚に相対して是を作る」とあって、沢庵和尚から直接に法話を聞き、書いたものを面前で点検していただいたことが分かります。
