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17) 柳生心眼流の免許体系9 「武道をしているとちょっといいんだ」
星国雄宗家の若いころは戦前とか終戦直後とかなので、本当に危険なことがたくさんあったようです。伝書にあるような技や口伝を星国雄宗家が実際に使っていらっしゃるのです。
星国雄宗家も当身の話はたくさんあり「ショックを起こされるとひどいんだ」とおっしゃっていました。「野中幕之伝」も使っていらっしゃいました。島津先生はストリートファイトがお好きだったので、相手とけんかして肘とか痛めて自分で治したりしていました。「酒井君もいる?」とかいって、私も自転車のタイヤのチューブをもらったりした。私の生まれたのも先の戦争が終わってまだたった21年の時でしたから、周りは戦争の事をよく話していました。空襲の話、疎開の話、配給の話、引き揚げの時の話等々。両親は次戦争が起こったときも、どういう風に生きていくかという選択肢は考えていましたし、そのように教えられて育てられました。そういう時代でもありましたので、星先生のお話を聞くととても勉強にはなりますし、そうやって生きていくのだということを先生から沢山学ばせていただきました。といってもおそらくあまりにむごい話は口をつぐんでいたと思います。
今の世の中で自分が同じようにしようとは思わないです。道場では星国雄宗家のそういうお話をすることはありますが、逃げられるなら逃げた方がいいです。私も今まで何回かトラブルに遭遇したことはありますが、原則は警察に通報して来ていただきました。合法的に対処するのは警察の方がプロです。
武道をしていてよかったと思うのは、そういう場合でもある程度落ち着いていられることだと思います。「武道をしていると、ちょっといいんだ」と星国雄宗家もおっしゃっていました。桃生の師弟合祀碑にも「武道を稽古していると争いになってもそれぞれの人が何をすればよいかがわかるようになる (大意) 」と書かれています。
目録くらいになって速い動きができるようになった方には、速く動きをしても相手をよく見て自分の心を平静に保つことを訓練していただきます。
根本的にはそういう状況に陥らないのがいちばんよいです。危険なところに入らないのが基本です。
16) 柳生心眼流の免許体系8 ぶっ飛ばせよいということではない。
どんな時でも相手をぶっ飛ばすのが最良でしょうか。ぶっ飛ばすことに酔っている方が最良なのでしょうか。あまりそのようには思えません。
ぶっ飛ばして相手が頭を打って頭蓋内出血になって死んだらあなたは留置所に入るかも。首を絞めれば落ちるといって、閉めたら首にあった血栓がとんでその場で脳梗塞とか。当身で血管迷走神経反射を起こした場合、その方が心臓に問題を持っていると不整脈を起こして突然死することもあり得ます。腹部に大動脈瘤を持っている方に蹴込んだら等々。私にはとても怖くてできません。門人の方にもそういう思いはさせたくないです。柳生心眼流の戦前の話は、あまりここでは書けないような本当に悲惨な話がたくさんありました。
門人が怪我すれば一家の働き手が仕事を失うという事態になりますし、相手に取り返しのつかない障害を与えてしまったということも聞いたことがあります。そのことが双方の人生を変えてしまうことがあるのです。
このため星国雄宗家は防具や道具を工夫していかに安全に稽古するかをいつも考えていらっしゃいました。本当に使ってしまいそうな人の前では危ない技の話は絶対にしませんでした。大人が本気になったら大変なことになる。「やわらとは取らせず取らず気を収め」とあります。しないが一番です。
あるときは相手に説明し、あるときは自分が引き、逃げ、負け、よいと思えば相手を称賛する。こういうのは日々研鑽です。身をいつも慎んでいることはとても大切です。そこに道があります。先生は「彼も人、我も人」とおっしゃっていました。誰もが安全でありますようにと思って暮らす。
もしそういう手を相手が使ってきたらどうしましょう。自動車が正面から向かってきたらどうしましょう。これは絶対にかわさなければならないです。これが柳生心眼流です。柳生宗矩のいう「負けぬ術を存じ居る」です。いざというときにそういう「かわし」ができる。思わずして生きる方向に動いていける。そういう方が一人でも多く育ってくださることを願っています。
15) 柳生心眼流の免許体系7 甲冑免許は本来の中意 (目録) 免許
実はこの甲冑免許は、昔は「中意の位」だったといいます。つまり本来の目録。江戸時代は当然のごとくに武器術がありましたので、さまざまな武器術を稽古する段階です。鼻捻、鎧通をはじめとして陣太刀、陣笠、陣鎌などがあります。現在「甲冑術」として稽古しているものです。これはとてもたくさんあるので、ある程度習得しようとすると結構時間がかかります。
明治以降は武器術をしばらくお蔵入りにしていましたので、これら技を柔術に直した形で伝授されました。これを「素肌甲冑」といいます。これに対してもともとある武器を使う技である「甲冑術」は「本甲冑」と区別します。この甲冑術を門人に公開したのは星国雄宗家ですので、その流れである一関の星裕文師範とその門下、新田の星徳一師範とその門下、島津兼治師範とその門下、そして私たち柳正館の流れだけです。星国雄宗家の門下以外は甲冑術は数本程度教えたことはあっても体系的には教えていません。これは押さえていないといけないことです。
伝書に「甲冑伝」とかかれているところを根拠に甲冑術が伝わっているということをいう方が過去いらっしゃいましたが、少なくとも星家の伝では素肌甲冑だけの方にも伝書の中に「同 甲冑伝」と書いて出しますし、こういうものだとか、1、2本教えたりはしています。したがって「甲冑伝」と書かれていたから甲冑術を体系的に教わっているという根拠にはなりません。
最近のある雑誌で甲冑術のことが出ていてこれは星国雄宗家から出ているだろうなと思われるものがありました。当流での「小手返」です。他流の小手返しとは異なります。出すのはよろしいですが、それは本当の甲冑免許の伝授技ですか。変化手のように見えますが。
唯一の例外は飯島というところの星家の親戚に鎧通の技がかなり伝わっていました。これは星国雄宗家が若いころにそこで働いたため、別伝で当館にも伝わっています。これは島津兼治先生にも星国雄宗家が小具足伝授のときに教えたそうです。
14) 柳生心眼流の免許体系6 甲冑取りはこわい
さて、甲冑免許の時代はどちらかというと強く相手を制することを稽古します。ですので「甲冑取りはこわい」という言われ方をします。私も星国雄先生から甲冑の伝授をいただくときには先生が本気で取ってくださいましたのでとても怖かったです。「これはまずい」という感じです。よく巷に「ぶっとばす」とかいう柳生心眼流の威力もこの段階の稽古に依るところが大きいです。受け身をとれないと危ないので、さすがに今はぶっ飛ばしませんが・・・。他道場の動画を見ていても、こういうときには受け身の取れる人を選んでます。昔はこういうのを見るとすごいなと思っていましたが、この年になるとそういうのまでわかってしまいます。
道理を言われれば確かにこれはぶっ飛ぶ。もしそういう時代に逆戻りしたならそのようにすればいいとは思います。ただ、今はそんなことよりもっと生産的なことに従事していただきたいです。心眼流はぶっ飛ばすとぶっ潰すとです。ほんとにしたらかなり危険です。医者の私が言うのですからかなり本当です。するなら防具をつけて稽古。流祖竹永隼人より以前から伝わってきたものと言われていて、柳生心眼流を特徴づける技といっても過言ではありません。でも何度も言いますがこれが武道の究極と思うならあなたは大間違いです。
13) 柳生心眼流の免許体系5 目録までは続けてほしい
ですから最初はすなおに教わったとおりに進んでいく方が近道です。切紙くらいまでは正確に覚えることを優先させてください。自分勝手な解釈や思い込みがあると、そこに引っかかってしまいます。先生の言うことに納得できないこともあると思います。その場合は質問してかまわないと思います。それでも納得できない場合は、そのまま記憶の中にしまっておきます。私のノートにも当時はわけがわからず「何のこっちゃ」とメモしてあるところがあります。何年もたってから、「あっ!」と気づくことがあります。そういう葛藤もあとからみると良い思い出です。
ある程度習って正確にとれるようになったら自分でも工夫をしていくようにしましょう。目録くらいからはそういう時期です。相手の動きに合わせて自由に動くことができなければいけません。自分でいろいろとシュミレーションして、考えて、先生にいろいろと聞いてみてください。体のつくりも人それぞれ。相手よってもみな違う。いろいろなアドバイスがいただけると思います。
柳生心眼流に興味を持って入ってくる方には、ぜひ目録くらいまでは続けていただきたいと申し上げています。しっかりやれば2年半から3年くらいです。そうするとある程度何かあっても動けるようになりますし、何かあっても武道の心得があるという感じの動き方になります。もういいかなと思ったら、それでやめていただいて結構です。でも基本二十一箇条と活人剣の心を忘れなければ私たちはともに柳生心眼流兵法の仲間なのです。何十年もたってから、ああ、そうなんだと気づくこともあると思いますよ。