ブログ

2025-12-29 17:09:00

40) 柳生心眼流の免許体系32  無心   

 兵法家伝書では言葉を尽くして説明しようとする宗矩の心が本当によく現れていて、こういう書物が残っていて、私たちが参照 (伝統的な言葉としては拝読) できるのはありがたいことだなと思います。結論としては「常の心を無心とは云なり」なのですが、兵法家伝書のかなりの紙数をあててそれがどういうことであるのかを、いろいろな場面、方面から言葉を尽くして説明しようとします。

「いつとなく功つもり稽古かさなれば (いつということはできないが稽古を積み重ねていくと)、はやよくせんとおもふ事 (もはやこうすればうまくできるという計らいのこころも)、そそとのきて (さっとどこかに行ってしまい) 、何事をなすとも、おもわずして無心無念に成りて、木で作りたる道幸の坊が曲するごとく (操り人形が自然に動いて素晴らしい劇を演じるように) に成たる位也」「この平常心をもって一切のことをなす人、是を名人と云うなり」とあります。

本当にこうなれればいいのですが、私にはまだ先のようです。ただ目的地は定めて起きないと別のところに行ってしまいますので、目的地を説示されることはとても大切です。宗矩も「すくなる心をば本心と申也。又は道心とも云也」「わが本心をさとり得て其本心にわがなすわざの、かのう人は床しき也。」といいつつ、すぐに「此のこと葉、われよく心を得て、如此いふにあらず。如此いふといへどもわれも心のすぐにしてすぐなる心にかなふごとくに進退動静する事は、難成事なれども道なればしるす者也。」と書いています。有難いなあと思います。道であるからここに記す。宗矩も流祖も道なればこそ目指して進みました。先師様たちも。そして及ばずながらではありますが自分たちもです。

「位」とは状態のことです。「木で作りたる道幸の坊が曲するごとく」とは難しいたとえですが、操り人形にもいろいろと雑念があったり、糸のつなぎ方や内部の構造が問題あれば、操者の言うことをきかず変な動きになってしまいますし、演劇も成り立たないです。基本二十一箇条も何か余計なことを考えて取っているとそのような動きになってしまいます。ぎこちなかったり、気合が途切れたたり、わざとらしかったりして、理にかなった自然な動きになっていません。

まず操者である自分の「心」から自然に「機 (はたらき)」 が現れて「用 (効用・効果)」 につながっていく状態がよいのです。この場合も常の心は大切です。宗矩は「常の心をかえて新たに生ずれば形もあらたまる程に、内外ともに動く也」「動転する心にてよろずをなさば、何事もしかるべからず」といっています。

このほかにも宗矩は「胸に何事もなき人が道者なり」「無心とて一切心なきにあらず、ただ平常心」などと「無心」をなんとか伝えようとしています。この「無心」こそは私たちの流祖も繰り返しおっしゃっていたことと推察されます。なぜかというと、どの伝書にも出てくるほど大切な教えだからです。流祖が宗矩からいただいた武道における「安心」こそ、どのような大変な状況にあっても「なすべきことをなす」こと、つまり「無心の大事」であったと私は考えています。

「無心」といえば一言ですが、内容はたくさんの言葉を用いても説明しきれない心です。でも説明しないと伝わらないので、みな言葉を尽くして伝えようとします。伝書では「実 (まこと)」「道」「兵法の道」、「大兵とて恐るべからず」、師弟合祀碑では武道を稽古する効用は「知命 (自らのすべきことがわかる)」であると流祖が述べたことが書かれています。南部藩に伝わった流れでは「せく心は月を詠むるがごとし」と書かれていて、目的に前のめりになった状態のことではいけないと諭しています。

何のために無心の心になるのかと言うと、私たちのながれでは「危急においては生きるこころ、平生においては活かすこころ」と2つのこころに集約されています。自ら生き、人々を助けていくことが無心のはたらきであって、兵法であるということです。つまり活人剣です。

 

ブログの更新は今年はこれで最後になります。辛口なことも書きますが、一方で楽しんでいただければという思いもあり努めております。これからも年々いろいろなことが起こってくるとは思いますが、まずは年を越せることを感謝したいと思います。皆様もどうぞよい年をお迎えください。

2025-12-24 22:49:00

39) 柳生心眼流の免許体系31  常の心 

習った技は一生かけて稽古してみがき、深めていく必要があります。こういうことができている方はお姿を見、話しているだけで分かるものです。みなそういう緊張感の中で暮らしていらっしゃいます。これは過度に張り詰めた緊張感でもなければ、リラックスして弛緩した心の状態でもありません。良い状態を維持して積み重ねていくのです。私も来年還暦ですが、武道界にはここからもさらに102030年と積み重ねて道を歩いている先生方がいたくさんいらっしゃいます。禅では「さらに参ぜよ三十年」という言葉があるそうです。話をお聞きしていて私も嘆息することがあります。こういう先生方と話して初めて皆伝者同士、武道家同士の話になります。ここはもう言葉は違えど武道として共通なものを持っています。「分けのぼるふもとの道はおほけれど同じ雲井の月を見るかな」です。

ではどうしたらいいでしょうか。宗矩は兵法家伝書で「みがかざるあらたまは塵ほこりがつく也。磨きぬきたる玉は泥中に入てもけがれぬ也。修行をもって心の玉をみがきて、けがれにそまぬようにして」と述べています。私たちの流れでは「人は最初に白い玉として生まれ、いろいろと色がつくが、また白い玉に戻っていく」と言われていて、この白い玉というのは戻っていくべきところのことです。人には生まれたらかならず戻っていくところがあります。ですが初めのあらたまと、後のみがきぬきたる玉とはもともとの材質が同じであっても異なるものです。ですので戻っていく前にやることはたくさんあります。外界からの情報によっていろいろな色が付き、自分でも色を付けていきますが、これを「心の病皆さって、常の心に成て、病と交わりて病なき位 (自分の限界や世の状況を知りつつ、それはそれとしてまた常の心にもどり、自分のできることを積み重ねて完成させていく) までさらに磨いていくのは自らの努力にほかなりません。自分の限界、世の中の変化に遭ってもそれにくらませられることなく、常の心に戻り、自分の限界から逃げずに向き合って解決策を見出していく。この常の心に戻るのは、私たちの流れにとっては基本二十一箇条をとるのが最良だと思っています。流祖の活人剣の心と身のかわしそのものだからです。だから尊いのです。変えてはいけないのです。

稽古というのは決して無理することではありません。星先生も「無理はするな」と常々おっしゃっていました。しかし自分のできる範囲で続けてくといろいろなことがらについて、「ああ、そうだったか」とわかる時がきます。何十年先のときもあれば、数年先のこともあります。流祖や先師様方を信じてただ積み重ねていきます。兵法家伝書では「(水鳥) が水かきをつかふごとくに (外には稽古している、努力しているというそぶりもみせず) 内心に油断なくして (稽古を続け) 、此のけいこつもりぬれば、内心外ともにうちとけて、内外一つに成て少しもさはりなし。この位に至る」と書いてあります。その位にとどまってもいけません。通り過ぎて跡形なしです。こういうことは1回だけということではなく一生に何回も起きてきます。私たちの流れでは「はっと気づく」と言われています。「ああ、そうなんだ」「ああ、そうだったか」とわかる、腹おちする、納得する、了解 (りょうげ、りょうかい)する、理解する、体解 (たいげ)する、本当にわかるといってもいいでしょう。外からの言葉や概念上で「知っている」が本当に自分のものになっていく瞬間です。何度も何度も気づきながら歩いていきます。その前提として常の心を保つことはとても大切なのです。どのように速く力強く動いても、心を保って自分と相手の心と体の状態と関係性を観察し続けることをやめてはなりません。いざというときはそういう心の状態をつくるのではなく、二十一箇条を取っているときのいつもの心に戻っていくのです。

2025-12-15 22:19:00

38) 柳生心眼流の免許体系30 「出た技は皆本当の技」の落とし穴 2

「出た技は皆本当の技」のもうひとつの落とし穴は、「自分は知っているから」「皆伝だから」とその練習も稽古もせずにその状態に居ついてしまうことです。

運動をしている方であればあたり前のことですが、稽古しなければ居つくどころかどんどん退化してしまいます。当たり前です。運動療法でする筋トレも、すれば一時的に効果がでますが、しなくなればまた元の状態に戻ってしまいます。

実は武道では一本習ったら、それをどんな状況でも使えるようになるまで稽古するのが本来であるという考えがあります。そういう厳しいところがあります。だから教わった技を稽古もせずほったらかしにして、あるいは忘れてしまい、深めようとしないのは教わる側の責任です。

仏教では「医師が処方した薬を飲まないのは医師の責任でなく患者の責任である。同じように仏が説いた教えを実践しないのはその人の責任である」とお釈迦様がおっしゃったと伝えています。稽古するのは基本的に弟子の責任です。「先生がよく教えてくれないから」の言い逃れは理由にはなりません。たくさんの技を習いながら、その域に達しないのにまだ教えてほしいを続ける人はやがて限界を自分で作ってしまいます。

戦陣で鎌ひとつしかない時に敵が刀をもって攻めてこられたら、鎌1つで相手がどう来ようと対応しなければなりません。むかしはそんなにたくさんの技は教えていただけないこともありましたから、いただいた技をそのくらいまで稽古しつくすのです。稽古しきるのです。相手がどう来ようとその一本で対応する。一本の技だけ先生からいただいて、一生涯その一本で自分の身を守りぬくというあり方です。「一箇条」といわれるあり方です。どうかわすか、どう攻めるか、ときには石を拾って投げたり足で土をひっかけたりするかもしれないです。こういうことができたとしたら、とてもすばらしいです。そういう人をこそ真に恐れよといわれています。真の武道家です

ですが実際にはそういう人に全員がなれるかということです。大部分の人は一本習ってもそれを使えるようにはならないでしょう。私もそういう中の一人です。武道も自分で強くなれる天才がいるわけですが、ほとんどの人にとってはそのようなモデルは自分のモデルにはなりません。天才なら柳生心眼流など習わなくても才能で強くなれると思います。

多くの人にとって、技をまずは正確に習い、いろいろな機会に練習し、先生に批評をいただだきながら、自分でもいろいろな角度から検討を加えて、古人の心に近づくようにすると、いつのまにか自分のこころから同じように技が出てくるようになるのです。これによって自分の身を守ることができるようになり、自信もつきます。決して今の自分の状況対して無理はしないでいいです。無理から離れて積み重ねることが大切です。積み重ねることが大切なのです。桃生の師弟合祀碑でいう「秉心塞淵」です。

このような態度とは逆に、出た技はすべて本当の技だから、昔習った技をろくに稽古もしないで演武会でちょと演武しても本当の技というのはどうでしょうか。もはや間違いであることはわかると思います。技そのものを軽視していますし、ご覧になっている神仏にも流祖にも、いらしていただいた観客の方にも申し訳け申し訳ないことです。もちろん昨今の忙しい環境では十分に時間をとって稽古することは難しいことも多いです。自分で考えても仕事との両立は結構難しいです。ですができるだけ努力をするという心構えは大切です。

まとめますと「出た技はみな本当の技」という言葉は安易な現実肯定に使われてしまうことが多く、注意して使う必要があります

2025-12-09 22:33:00

37) 柳生心眼流の免許体系29 「出た技は皆本当の技」の落とし穴 1

前回「出た技はみな本当の技」という話をしましたが、これにも落とし穴があります。今日はこのことについて考察していきましょう。

前回お話しした通り、状況によって変化し出てきた技はそのときのまさに「一手」であり、勝負を決める本当の技です。これは長年の鍛錬の結果としてその瞬間に現れるものです。その人にして思わずして現れた「盗まれぬことのない技」です。そして、それはそのとき一瞬だけ出て、あとは跡形もなく消えてしまいます。これがこの言葉の本来の意味です。しかし、この言葉は間違って意味で受けとられてしまう危険性があるのです。ここでは2つの問題点を指摘したいと思います。

1つは「自分の好きなように変えていい」という誤解、1つは「何も努力しなくていい」という誤解です。今回は前者を解説します。

よくあるのは先生の形をしっかり真似できていないにもかかわらず、直そうとしないことです。これは、いったん習得できたあとに変わってしまうこともあります。こうしてある方のくせが後輩たちに受け継がれてしまうのです。ある程度たって上達してくると、今度は深意が十分理解できていないのに、こうした方がいい、こうした方が恰好がよいと自分の考えで形を変えてしまうこともよくみられます。これも、意味をよく考えて変えたのであればようのですが、多くの場合は不理解から生じたものです。こうして多くの形くずれが発生します。そして、それでいいんだということになります。

本当の稽古鍛錬とはそのような懈怠や慢心から離れて、自分に間違いがないかいつも薄氷を踏むがごとくに注意して点検しながら進んでいくことです。柳生石舟斎の歌では「兵法はふかき淵瀬のうす氷 わたる心の習いなりけり」と示されています。これは心の隙、懈怠がないことですし、「よきのふと思ふ心のおろかゆへ 兵法くらゐのあらそひぞする」と慢心してはいけないことを示しています。

古人の工夫というのはすばらしいものがあります。戦場で生き残るために古人によって工夫された珠玉の知恵です。私はとてもではないですが、そんな技を考えられるような素質はもっておりません。教えていただいたからこそできるようになりました。数学で四則演算くらいは考えついても、微分だ積分だ、無理数だ虚数だ、正規分布だなどというのは、学校で習わないと自分で思いつくことは非常にまれでしょう。もし思いつけたら私は天才。でも、こういう計算方法を知らなければ今の科学技術はありません。こうした技術をならうことにより、統計でも判断の間違いを20回に1度未満にするようなほどに精度を高めることができます。工学でも理学でも自然科学でも、いろいろな知識がもとになって、技術が開発されます。これからもずっと開発されていくでしょう。とても一人の工夫で渡れる世界ではありません。だから習うことが回り道に見えて近道なのです。石舟斎の歌にも「世にふしぎ奇妙おほきぞよくならへ ならふて恥にならぬへいほう」とあります。はずかしいと思わずどんどん質問して、よく説明を聞いて、正しい技を身に着けることが大切です。

2025-12-03 22:11:00

36) 柳生心眼流の免許体系28  右足と左足はどっちが正しいか

伝書のことが出たので左右についてお話します。私たちの流れではあまりしませんが、柳生心眼流の他の流れだと右足を出して、その次に左足を出してなどと舞の形付けのように形の内容が書かれているものがあります。これは私たちの流れではあまりしないところです。してもいいのですが、それは入り口にすぎません。それどころか伝書には左右が逆転して出ていたりします。それでよいのです。なぜかというと状況次第だからです。

たとえば形としては初めに一歩引くことを教えますが、状況によっては一歩出ることもあります。これは相手との関係性で決まります。

相手のある攻め手 (箇条)に対して、右足を出すか、左足を出すかといったことは初めの段階では動きを覚えていただくためにある形を示すのですが、あとからどんどん変化していきます。ある程度覚えたらこれは右足前でも左足前でもしますので、右でも左でもできるように理解を促していきます。ですので「通例ではこう書く」というのはありますが、どちらが正しいということではありません。

相手によっても違う。自分の状況によっても違う。道具によっても違う。こういうのを「変化」といいます。基本の形はあるのですが、それに変化がたくさんあるので、縦横無尽に変化していくものです。うちでは「千変万化」、桃生では「変化無窮」と書かれています。ある段階からはこれができないといけないです。目録あたりからこういうことを少しずつ教えていきます。

星国雄宗家も「うちには変化がたくさんあってひどいんだ」とおっしゃっていました。私も代を継いだ時に技の数を数えようと思った時期があるのですが、無茶苦茶になっていくのでやめました。数えられないです。七箇条と言いますがこれもおよそ (大体) です。結論は「教わった通りに伝えればいい」でした。

技術や感性を伝えるのはこういうことだと思います。昔からこうやって伝えてきたのでしょう。陶工の人が小さいころ、若いころから親や先輩と同じ作業場に出入りしてその姿を見て、一緒に仕事をして覚えていく。これはどこからどうとういうことでもないし、土の採り方、作り方、ろくろの回しかた、釉のかけ方、焼くときの薪の入れ方、温度の見方、それもいろいろな種類の作品がありますから、これについては10箇条、これについては15箇条などとは言えないと思います。はじめは見て、まねて、教えてもらって、批評してもらって、またまねていく。その繰り返しで、いつの間にか親と同じものを作るようになります。「いいね」と言って買ってもらえるものを作れるようになります。そしてそのうちに自分の作品とは何かを考えるようになる。

だから技は立ち合いで伝えるしかありません。先生は亡くなる1週間前、道場で倒れるまで教えてくださいました。いろいろな技術があるけれど、少しずつできるようになっていく。星先生は「どんな学者もいろはのいの字から学び始まる」とおっしゃっていました。一本目から始まって、徐々に箇条を増やして、できるとさらに変化を覚えていきます。自然に動けるようになっていきます。さらに自分でもその隙間を埋めて、二段にも三段にも変化しすきのない体をつくっていきます。

柳生宗矩は伝書『進履橋』で「右之数々を能々習い得て、此中従り千手万手をつかひ出すべし。三学九ヶなどと云は大躰を云也。此道をよく心得てより太刀の数を云べからず」と述べています。柳生心眼流も同じです。

剣術でも初手は面ですが、私たちの流れでは面にもいろいろな方法がありますので、いくつにも膨らんでいきます。棒の攻めどころもこれと違うものがあったりします。マニュアル本では初めの部分は伝えられますが、変化のすべては伝えられません。

星国雄宗家は「こういうことが出来てはじめて北の柳生もまだ大丈夫だと (他流の人から) 言ってもらえる」とおっしゃっていました。こういうことは古い伝統を持つ流派ならきっとどこにもあることなのでしょう。右でも左でもない技 (左右にこだわらない技) を使い出だすのうちの流れです。そのように精進稽古を続けます。ですから右でも左でも正しい。「出た技はみな本当の技」と言われます。

 

1 2 3 4 5 6 7 8 9